2007-12-04

常識

私は大学院の学生に簡単な問題を出したことがある。

例えば,20%のグルコース溶液を1リットル作ってください,というような問題。しかしほとんどの学生ができない。何故できないのかというと,グルコースの分子量をさりげなく問題に書いておくわけ。分子量を入れることによって学生はモル数の問題と混同し,思考能力にブレが生じ自ら轟沈。正解率10-20%ぐらいかな。パーセント算出はおそらく小学校の問題であると思うが,分子量で計算し,また,1リットルは作らないだろうみたいな変な常識が邪魔をしてしまい問題が解けなくなるという仕組み。

もちろん大学院入試では高度な問題が出され,皆,優秀な成績でパスしてきたはずである。しかしグルコースの問題と同様に,実際の実験では普段の生活の常識的なセンスが何故かスイッチオフになっていることが多い。サイエンスは常識となった真理の延長線上にあり,そういった基礎体系のなかで,ある逸脱した現象があらわれると「これは何だろう?」ということになり,そこから新たな発見が始まるのであると思う。つまり,ある基準(常識)がないと,精妙な事象までには行き着けない。

エッペンドルフのなかに入っているバスクリンも,風呂桶に汲み取ったバスクリンも同じ。生活で使っている頭を実験にも使って欲しいわけ。実験=特別なことと考えた時点で,かなりやばい。

1 μgで考えると理解できない事象は,スケールを1トンにずらす。自分では感じられない重さを,敢えて押しつぶされそうな重さに変えてみる。見えない事象をスケールを変えることによって,思考の中でビジュアル化できるようにする訓練,重要だと思うのです。

今の日本,学力低下ではなく,常識力の低下だと思うのです。教育の何もかも学校という枠組みに押し付けてしまって(親の丸投げ状態です),今の日本経済は成り立っているのですから,ここまで頑張って来れたほうが奇跡。

そして,奇跡は,そう長くは続かないものである。