2013-12-31

2013年の終わりに

気がつけば,2013年もあと12時間ぐらいで終わりです。

先日,仕事納めにスタッフの桑江先生とプロジェクト確認と今後の優先事項についてディスカッションをおこないました。

僕らのラボでは,III型分泌装置によって宿主に移行するエフェクターの機能解析を中心として,研究を展開しています。細菌が作りだすエフェクターという分子は,宿主の細胞内にはいってから悪さをするタンパク質です。なので,このエフェクターを動物細胞内で発現させたとき,細胞機能がどうなるかを調べることで,その本質を見極めることが可能となります。

このように,やるべきことははっきりしていますが,たとえば,エフェクターに変異をいれて,本来の変異をもたないエフェクターと比較解析する場合,シビアな定量解析が必要とされます。遺伝子発現やトランフェクション効率にブレがでてしまうと,データ解釈が困難となります。2013年は,このようなブレを排除するためのシステム開発に取り組んできました。このへんは桑江先生の尽力が大きいです。

今年は,卒研生も含めて総勢10人ぐらいでラボを運営してきましたが,全体を見渡せば,まあなんとか予定通りに個々のプロジェクトが進展したと思います。2014年はそれらの果実を,発表していきたいと思います。

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個人的には,2年間執筆してきた感染症関連の原稿が校正段階にはいって,ようやくゴールが見えてきました。製本すると約280頁になります。ページ数は多少前後するかもしれませんが,これほどの分量を書いたことがないので,書きながら体力がついてきた感じがします。

また,このブログで何度か取り上げましたが,大量文書をストレスなくこなすためには,システムの再構築が必要でした。ワードを捨ててエディターの世界に突入したのも,この参考書の執筆からでした。コンスタントに文章を書き続けるには,長距離ランナーのような持続力が求められますね。こういったことも勉強になりました。

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まあしかし,家族ではじめて海外旅行にいったり,それなりにリラックスした夏休みをすごすことができました。

アイルランドで開催されたボルデテラ属細菌の国際学会も刺激的でした。普段,競合している連中が2年に一度ぐらい集まって,ディスカッションする会議なのですが,テーマがボルデテラ属細菌のみというマニアックでディープな学会です。初参加でしたが,われわれのおこなっている研究をよく理解してくれて,嬉しかったですね。次回は2015年にアルゼンチンで開催されます。

今年前半は,柔術大会で成績を残すことができましたが,後半はいまひとつでした。ハーフガードの攻略は,自分のスタイルが少しずつ出来上がりつつあるので,来年も頑張りたいと思います。

2013年,結果的にはオーライです。

来年もよろしくお願い致します。


【写真で綴る2013年】

柔術大会・準優勝

雑誌VOLTに掲載

掲載雑誌,ちなみに中畑さんは同郷です。

ボルデテラ研究会にて。阪大微研の堀口先生とツーショット

原稿のないパラオに逃避。。。

メッサきれいなパラオの日没

若コロ@広島 わかくないけど出席した

トリニティー大学でのボルデテラ国際学会
トリニティー大学の図書館。ハリポタ感がハンパない。

話題を選ぶ,トリニティー大学の食堂。

ジェイムズ・ジョイスが幼少時にすごしたブレイ

ラボの飲み会

同じくラボの飲み会

普段はめったにきない白衣をマイケル富岡さんの自宅で着てみた(バラエティー番組の収録)



2013-12-25

クリスマスに Mac mini を注文

先月,サーバーとして使用していたMac mini が落ちてしまいました。いろいろ試しましたが,うんともすんとも,言いません。

そこで,MacBook Air 11にサーバー用のアプリをインストールし,事なきを得ました。まあしかしちょっとモタモタします。←をクリックするとラボのHPにとぶのですが,このモタモタ感は MacBook Air が頑張っている証拠です。

この小さなノートパソコンにBiND6で作成したWebサイトを入れて運営しています。BiND6は前バージョンより,はるかに使いやすくなりましたね。

本日,いろいろなものに区切りがつきましたので,新たなMac miniを注文しました。思い切って Mac Pro という選択肢も考えたのですが,ドライブをSSDにして,ある程度のメモリーを入れれば,僕の環境では,ほぼ満足です。

ただし,SSD上限は miniの場合 256 GBなので,これが不満です。なので,miniのなかでもハードディスクを2台搭載可能なサーバータイプを選択しました。これだと 256 X 2 = 512 GB のストレージを,SSDで確保できます。すこし割高になってしまいますが,通常のハードディスクの世界には戻れません。

前回,購入したMac miniは 2011年でしたので,新たなminiでクアッドコアの実力を知ることになります。そして今使っているminiは,Webサーバーとして余生をおくってもらいます。

こういうライフサイクルで,miniを購入しています。

mini と Mac pro のあいだには,スペック的にかなりのひらきがあるので,あとひとつ中間的なカテゴリーを作ってほしいですね。それでも,製品が乱立している他メーカーと比べて,圧倒的にデスクトップマシンの種類が少ないです。それがかえって,個々の製品の魅力を十分に引き出すマジックかもしれませんが。。。

それと今テレビで流れているアップルのCMは,とても素敵ですね。

多くは語らなくても,家族の絆をうまく表現しています。

ということで,miniを注文しました。

メリークリスマス!



2013-12-24

西村隆太郎の「見る前に翔べ」 留学日記2

現在,修士2年の西村君が短期留学でシンガポールに滞在しています。通常は,博士課程を出て博士号をとってから留学するのですが,修士ぐらいで留学したら,どうなるのか? という試験的な意味でも面白いと思います。

もちろん,修士課程2年間で修了するためには,どうしても短期留学になってしまいますが,それでも得られるものはあると思います。

ということで,第2の西村君を目指したい方は,是非,うちのラボに来てください! 
こういった短期留学も歓迎します。

以下,西村君のレポートを原文で記載します。
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こんにちは!

第2回目ということで、今回はシンガポールにある屋台や食べ物インフォメーションについて書いてみたいと思います。

<ホーカセンターについて>
シンガポールにはホーカセンターという屋台が集まった場所があり、大体$2.5-4で一食を食べることができます。
屋台の中にはタイ料理、中華料理、シンガポール料理などさまざまな種類の食べ物があります。
シンガポールの食べ物はチリなどの唐辛子などが入っており大体スパイシー(辛い)な料理が多いです。
また、ホーカセンターの大部分は中国系の店(シンガポール料理店を含む)が多いを経営しているおじちゃんやおばちゃんは中国系の方が多いので、中国語で話しかけられます。
しかしベーシックな英語も通じるので、英語での注文も大丈夫です。
(シンガポールのラングイッチですが、シンガポールはマレー語、インド語、英語、中国語がよく日常で使われる国です。公用語は英語ですが、中国系の方が多いのでバスや電車、とくに屋台では中国語をよく耳にします。)

ときたま、英語で話しかけてるのに中国語で値段を言われたり、中国語で注文しているのに、英語で値段を言われたりとおかしな現象が生じます。
良い店主の方もいますが、どこでもそうですが中には外国人であるゆえぼったくられることもあるので、値段が表示されていても、お金を渡す前にきちんと値段を確認してからお金を支払った方が良いです。
(値段が表示されていないお店が多かったり、また値段が表示されていても違った値段を請求される場合があります。)

また簡単な英単語や中国語で適当なことを言われ誤魔化される場合もありますので注意したほうがよいときもあります。
※日本語を少し喋れる店主の方や心優しい方ももちろんいます。
また大部分の中国系のホーカセンターの方はおじさんやおばさんが経営しているため、簡単な英単語は話せますが、英語はあまりしゃべることができません。

<ホーカセンターの時間帯>
屋台は朝早く(6amぐらい)からやっているお店もあったり、遅くまでやっているお店(夕方から開き夜中まで)もあったりと様々です。
中には夜中の12時頃から開き、明け方までやっているお店もあったりします。
人気のお店は人が並んでいるので、たくさんある屋台の中で迷ったら、人が並んでいるお店で注文するのがベストかもしれません。

ホーカセンターはアウトサイドで、大体のお店は夜遅くまでやっています。
外にテーブルと椅子があり、そこでおじいさんが友人?と一緒にビールを飲んでいたり、TVのドラマを見ていたりしてのほほんとしているホーカセンターもあります。

<スーパーについて>
シンガポールのスーパーですが、私はよくシンガポールの大手スーパーFairpriceをよく利用しています。
カヤパン、ロータスパン、レッドビーンパン、ココナッツパンなどちょっと変わった菓子パンが80円($1)で売っていたり、ドラゴンフルーツやオレンジ、スターフルーツ、マンゴーなど南国の果物がずらりと並んでおり、しかも価格は日本と比べとても安いです。


<シンガポール料理について>
シンガポール料理はいろいろありますが、
私はラクサ(Laksa)、シンガポールのカリー、インド系の料理がお気に入りです。
また屋台の中でカキ氷系の上に豆系(あずき、うぐいす豆、黒豆、その他)のスイーツ料理を売っているお店があります。
2つトライしたところ『うーん』という味が2つで、1つは美味しかったです。
ちょっとトライ数が足りないのでもう少しトライしてみます。


シンガポールの人と話していると食べ物の話で盛り上がることが多々あるので、シンガポール料理に出会う機会がありましたらぜひトライしてみてください(^^)

※写真

ホーカセンターの様子とラクサの写真です



2013-12-23

冬の連休

冬の連休は,クリスマス前で賑わっておりますね。
現在書いている感染症関連の本が,いよいよ最終段階に入り,少しだけほっとしております。

当初の予定を大幅に過ぎて,そして編集者のYさんにも迷惑をかけて,なだめられて,なんとかここまできました。ありがとうございます!

昨日は,全ての校正を投函後,本棚の整理などをして,それから渋谷に買い物にでかけました。基本的に自宅の半径500m 以内に,職場である大学,とりへい,星野屋酒店,などがあります。この街がとても好きです。この活動圏内を離れるときは,柔術練習のために,Carpe Diemに行くときぐらいです。

なので,買い物をするときも,この活動圏内になるべくはやく戻れるように,iPhoneにお店のMAPを入れてから出かけます。最初から買うものがピンポイントで決まっていて,ブラっとお店に入ることは,あまりありません。

最短距離で行動して,すばやく任務を遂行して,トイレとかも我慢して,2時間以内を目標にして帰ります。

昨日は,Barbour のポーラーキルトジャケットを買いました。本来なら定番のオイルドジャケットを攻略すべきですが,軽いものにしました。

渋谷 Barbourの帰りに,明治通りからキャットストリートに入って,チャンピオンでフーデットパーカー,角の店でヘルスニットの靴下を買って,終了。すぐさまバス停へ。

休日の都バスは,なにか物哀しいです。これで,家に帰ってサザエさんのエンディングが流れていたら,最高に終わった感がありますね。だいたいサザエさんは,愉快ではなくガサツでは,ないですか?

閑話休題。ということで,半径500 mぐらいのところに留まって,生活するのが好きなのです。

あともうちょっとで,2013年も終わりですが,何とか自分なりの締切に間に合わせることができました。2014年も何かの締切があるかと思いますが,今を生きることで,未来につなげていきたいです。

Carpe Diem! 

2013-12-16

西村隆太郎の「見る前に翔べ」 留学日記1

こんにちは。

現在留学生活を送って2ヶ月になります。
私はシンガポールのサイエンスコーポレーションで免疫に関する研究機関に所属して研究しています。

今回は阿部先生のブログをお借りして、留学通信ということで留学生活で感じたことなどを書かせていただくことになりました。

第一回目ということで海外の研究所の雰囲気について少し書きたいと思います。


<研究室>
研究室のメンバーは、ボス、そしてポスドクのMさん、Yさん。Mさん、Kさん、Hさんで、国籍はアメリカ、台湾、マレーシア、シンガポールと様々です。隣の研究室にはフランス人の方もいます。
また他の研究室には、アフリカ人、インド人、ポーランド人、ドイツ人など様々な国からこられている方が多くいます。

<実験室やオフィス>
実験室は共同になっており、隣の研究室の方と同じ実験室で実験をしています。また全体として研究室の部屋がクリアガラスでNanodropやCentrifugeなどの機器を他の研究室に借りにいくことがよくあります。
休憩室としてPantryの部屋が共同で一つあったり、同じ部屋に違う研究室の研究員の方のオフィスあるので、よく違う研究室同士が会話されている光景が見られ、あまり垣根がないような気がしました。
日本ではあまりガラス張りの研究室を見たことがないので少し驚きました。

<雰囲気など>
またこちらでは他のラボの研究員の方が(おそらく日本より)高頻度に声をかけてきてくれたり、話しかけれたりします。(よくPantryなどで食べていると声をかけられます。)

またクリスマス行事として、研究所でリスマスパーティーが行われたり、研究機関全体で記念行事としてカーニバルが行われたりして、そのような雰囲気は外国ならではだなと感じました。


では、短文ではありますがまた次回、書かせていただきます。

2013-12-15

BALMUDA Rain あらたしいカタチの加湿器

ご無沙汰しております。

最近は体調を崩したせいか,すっかりラボに閉じこもっております。それに加えて,今月中に何としても校正を終わらせなければならない原稿があります。

なので,ラボでウダウダしている時間が長くなりますが,僕にとっては一番快適な空間です。

しかーし,冬の季節には湿度がとても低くなります(ここの空調がいまひとつです)。そこでベンタを2台稼働させているのですが,この無骨なドイツ製加湿器ですら,砂漠のような乾燥を変えることはできませんでした。

ベンタはここ10年ほど稼働させており,今まで故障したことは一度もありません。このへんはドイツ製らしい働きぶりです。唯一の欠点として,この加湿器には湿度を感知し,希望通りの湿度にあげる機能がありません。

無骨なベンタ。耐久性はピカイチです。

そこで,BALMUDAデザインのRainという加湿器を購入しました。

とても美しい造形で,まるで花瓶のようです↓

Rainの横顔
有機ディスプレイのレイアウトも素晴らしい。このディスプレイの上に,ヤカンで,水をじゃぶじゃぶかけるのです。するとゲージが自動的に反応し,どれぐらい入れているのか,表示されます。このへんの仕掛けも楽しいです。

自動運転で,湿度を50%に設定したときのディスプレイ↓。もちろん,マニュアルモードもあります。

Rainを真上から覗きこんでみた
この花瓶のような縁がリング構造になっていて,このリングを回すことで,全ての設定が可能です。材質の表面加工も美しいです。


Rainの美しさがわかる表面加工
また,Wifi接続することで,iPhoneからコントロールすることも可能です (UniAutoとよばれるアプリ)。このアプリで,加湿器の自動・手動の切り換え,また,24時間タイマーの設定などをおこなうことができます。このように,1時間毎に加湿器の稼働をOn・Offすることも可能です↓ タイマーは本体からも設定可能ですが,UniAutoからのほうが簡単です。

24時間タイマー。iPhoneアプリのUniAutoからの制御

また,現在の湿度をリアルタイムでみることも可能です。下の画面ではオート設定で50%にしているのがわかります。湿度設定は5%刻みで,60%まで可能です。



まとめ: このRainはアップル製品と同じように,梱包を開ける時に,ワクワク感がありました。また,その期待は裏切られることがありませんでした。

これまで,

家電=機能すればいい 

みたいな一方的な押し付けで,製品を選択せざるを得ないのですが,Rainはこれまでの,どれとも違った加湿器でした。

BALMUDAデザインの加湿器は,はじめから,すごいことになっております。

追記: ラボの湿度管理として,質実剛健なベンタを稼働しつつ,こまかな湿度調整をRainが担当するという感じです。

2013-12-02

せめぎ合う微生物と宿主の分子戦略

「せめぎ合う微生物と宿主の分子戦略」
1PW11 12月3日(火)13:15-15:45 第11会場
http://www.aeplan.co.jp/mbsj2013/program_workshop.html#1PW11

今回,開催される分子生物学会のワークショップにて,ラボの准教授・桑江朝臣先生が「ボルデテラの III 型エフェクターによる免疫回避」についてプレゼンをおこないます。感染症に興味のある方は,是非とも上記ワークショップにご参加下さいませ!

僕らのラボでは,ボルデテラ属細菌(百日咳菌などが含まれます)のIII型分泌装置によって宿主に移行するエフェクターの機能について研究をおこなっています。このなかでも,BopNとよばれるエフェクターが炎症反応の抑制に関与することを突き止めまています。

現在進行しているプロジェクトの一つとして,BopNがどのようなメカニズムで炎症反応に関わる遺伝子群を抑制するのかについて,精査しています。

炎症反応の抑制は,ある種の病原細菌が有する共通の戦略です。BopNの機能は何か? について,我々のストーリーをお楽しみ下さいませ。

*****

このような基礎研究以外に,百日咳ワクチンの研究もおこなっています。ワクチン関連の研究は,とても長い時間がかかります。

飽きっぽい僕は,単一のテーマに長時間,取り組むことができません。なので,長期間のプロジェクトを短期間のプロジェクトに織り交ぜて,持続力を維持するようにしています。

そして,なんとか,新規ワクチンのベースになるものを自分たちの手で,見出していきたいと思います。

本来ならワクチンメーカーが本腰を入れるべきなのでしょう。まあしかし,新規ワクチンをつくり上げるまでには,その安全性を確認するために,とてつもない研究期間を必要とします。なのでワクチン開発は,手を出しにくい領域なのかも知れません。利益のみでモチベーションを維持するのは,困難です。

日本版NIHが一時期,騒がれましたが「ワクチン開発のような,長期的な人材投入が必要なプロジェクト,かつ,企業がしり込みするようなプロジェクト」に参入するのなら,アリだと思います。

まあしかし,強いドライビングフォースをどうやって創りだし,それを維持していくのか?  見てみたいですね。

2013-11-28

My Book Thunderbolt Duoに交換!

これまで,ラ◯ーのハードディスクを使用してきました。アルミの削り出し筐体は,Macminiによくあいました。

しかーし,このハードディスクは排気音が,とてもうるさいのです。また,タイムマシンが稼働していないときでも,頻繁にハードディスクにアクセスする癖があります。

ということで,My Book Thunderbolt Duoというレイド対応のハードディスクに乗り換えました。

My Bookというよりは「マイ広辞苑」といったほうがふさわしいデザインです。しかしその無骨さとは裏腹に,スペック的には大満足でした。

サンダーボルト対応でタイムマシーンが起動していても,ほとんど起動音がしません。耳を近づけて,ようやく起動音が聞き取れる静粛性です。ハードディスクも自前で交換が可能ですので,セキュリティー的にも安心です。

僕がコンピューターを使いはじめた1990年代は,Quantumのハードディスクが最高で,ウエスタンデジタルはどちらかというと,パッとしないメーカーでした。そういったこともあり,今まで使用してこなかったのだと思います。

 これからは

「マイ広辞苑」

に,頑張ってもらいます。

デザイン的にはHAL 9000

マイ広辞苑な感じ

サンダーボルト対応です。

2013-11-24

モノを書く環境と観葉植物

気がつけば,2013年もそろそろ終わりに近づいておりますね。
今年はどういった進歩があったのだろうと思うと,心拍数がはやくなったりします。それでも,まるまる2年間,書き続けてきた参考書の目処がついて,ほっとしております。

15万〜20万字の執筆作業に必要なのは,ひたすら体力だ! ということも実感しました。また,15万〜20万字の世界に耐えうるためのシステム構築も重要でした。

通常の総説なら 6000~8000字ぐらいですから,マイクロソフト・ワードでも何とかなります。しかし,これの10~20倍のスケールになると,ワードでは極端に不安定になります。さらに,論文や各種資料との関連付けもワードでは,できません。多くの資料を体系化しつつ,それでいて,安定なソフトウエアが必要でした。

そこで目をつけたのが,このブログで何度も取り上げたScrivenerという多機能エディターです。今ではこのソフトで,ほとんどの執筆・報告書・論文をすませています。これさえあれば,どんなに長い文章を書いても落ちることはありませんし,文字変換でモタモタすることもありません。全ての研究者にオススメします。

あと,大切なのは,モノを書く環境かなーと思いました。執筆中は集中したいので,Boseのノイズキャンセリングヘッドフォンを使用しています。一方,イラレで作画するときは,音楽を流しています。

*****

僕は土日もラボにきて,多くの時間をここで,過ごしています。週末の午前中は仕事がもっとも進む時間帯です。自宅からラボまで歩いて数分ですし,午前中に仕事をすませ,午後は自分の時間として,過ごしています。これが僕にとって,ストレスが一番少ないやり方です。

なので「ラボ=きちんとした職場」というよりは,自分の好きな空間として,とらえています。他人から見れば,参考書のわきにバガボンドがあったり松井冬子の画集があったりと,雑多な空間です。。。さらに,植物も他の先生方と比べると,多いほうかもしれません。

昨日,植物を買い足しました。ペペロミア・ジェイドという観葉植物です。基本的に,肉厚な葉っぱの植物が好きです。砂漠に生えているような植物もいいですね。少し落ち着いたら,砂漠にもいってみたいです。

とりとめもないので,このへんで。良い週末をお過ごしくださ〜い。

執筆の友 - ノイズキャンセリングヘッドホン。

新たに仲間入りしたペペロミア・ジェイド。ピカピカした丸い葉っぱがいい感じです。

Caepe Diemの見事なコウモリランに惹かれ購入したもの。少しずつ大きくなっています。

某先生が退官されるときに捨ててしまったラン。それを拾って 13年になります。





2013-11-23

暗いなかで魚になりましょう

感染症関連の参考書もいよいよ大詰めを迎えようとしています。2011年の暮れ頃からぽつぽつと書きためた原稿は,ようやく1冊の本としてのボリュームになりました。

「今なら,まだ止められる」

という思いが何度もよぎりましたが,ここまで辿りつけたことに感謝です。あともう少しで上梓することができます。

さてさて,この2年間,のんびりとした僕でさえ,かなりのプレッシャーを感じました。眠れない夜もありました。そこで,自分なりに安眠できる方法を解決したので,ご紹介します。

とても簡単なことです。それは,電気を消してお風呂に入るのです。

はじめから暗くすると,いろいろな不都合があるので,体を洗ったりヒゲを剃ったりしたあとに電気を消して真っ暗ななかで湯船にひたるのです。

最初は暗いのですが,徐々に薄暗いブルーの世界に包まれていきます。少し窓を開けて,風の音や車の通り過ぎる音に耳を澄ませ,呼吸を整えていきます。それから湯船に潜ります。肺の古い空気を押し出すように深呼吸をして潜水します。これをやることで,肺のなかの空気を新鮮にします。

それから,ヤカン(ネティポットと言うらしい)に暖かな塩水を入れて鼻にプスッとさします。頭を傾け鼻腔に塩水が入るようにして,洗浄します。つらそうに見えますが,あたたかい水が鼻のなかを通って,もう一方の鼻孔から,ぬらーっと出てくる感覚しかありません。なので,すごくつらそうな顔をすれば忘年会とかで使えるかもしれません。。。

閑話休題。ともかくもこれらの儀式?で,よく眠れるようになりました。

あと,僕の場合,1日のコーヒー量を2杯までときめています。これ以上飲むと眠りの質に影響します。

お風呂は,電気を消して入る! 

以上です。

2013-11-21

NEX-5R + E 35mm F1.8 OSS + メタルフード

今年の夏,新しいカメラ,NEX-5Rを購入しました。
このカメラの良い所は,APS-Cサイズで5万円という価格に尽きると思います。当初は,付属のズームレンズ,シグマ 30mm F2.8 EX DNというレンズを楽しんでいたのですが,単焦点でもう少し明るいレンズが欲しくなりました。

これがカメラ回帰熱のあぶないところです。

単焦点,単焦点,,,とうなされた日々が何日か続きました。

最終的に NOKTON classic 35mm F1.4 の路線がみえてきました。このレンズはVMマウントなのでマウントアダプターを介しNEXに取り付けることになります。しかし,このVM-E アダプターが,2万円近くすることが判明。。。レンズ価格をあわせると7万円以上の出費です。現実的ではないという結論に達しました。結局は,ソニーがNEX用に出している E 35mm F1.8 OSS というレンズに落ち着きました。

中野にあるカメラ屋さんで,今まで購入したカメラやレンズなどを下取りに出し,ほぼ同値段で,35 mm F1.8 OSSを手に入れました。ある程度の出費は覚悟していたのですが,ちょっと安心しました。

購入したレンズには花型レンズフードも付属されていました。しかし,大げさな感じがしたので,エツミのメタルフードに取り替えました。この大きさなら常時つけていても,いいかなと。それに合わせて,ハンドストラップも赤にしました。

ということで,ようやくレンズも落ち着いて,カメラ回帰熱から無事に回復しました。。。

当初はコスパのみで購入しましたが,徐々に愛着がわいてきました。

赤いフードはメリハリがありますね。

F1.8のレンズ。ボケ具合もいいです。

2013-11-20

細菌学の特別講義 目次

細菌学の特別講義

 1995年から1999年にかけて,カナダ留学で体験したことを記載しました。これから,海外留学される方の参考になれば幸いであります。また,海外で辛い留学体験をされている方にもオススメします。

 イバラの道にみえた留学も,過ぎ去ってみれば,やはり辛い思い出でした。それでも何とかここまでこれた自分がいます。二度と経験したくはありませんが,僕にとって必要な通過点だったのかも知れません。それではお楽しみ下さいませ。

第一限
第二限
第三限
第四限
第五限
第六限
第七限
第八限
第九限
第十限(最終回)

細菌学の特別講義 (最終回)

15. スパゲッティバグとの闘い
 ベルギーからの分与株を用いてIII型分泌装置が腸管病原性大腸菌の下痢発症に関与することを明らかにしたが,この強毒株でさえも実験結果が大きくばらつくことがあった。

 ウサギが腸管病原性大腸菌に感染すると,感染後3-4日で下痢を発症する。しかしながらある種のウサギにおいては,まったく下痢を発症しなかった。腸管病原性大腸菌に抵抗性を示したウサギについて組織病理学的な解析を行った結果,腸管の表面にはびっしりと怪しげな細菌が付着していたのである。電子顕微鏡で解析してみると,その細菌はスパゲッティのような形態をしていたので,我々はスパゲッティバグとよんでいた。

 その後何度か感染実験を行い下痢を起こさなかったウサギを解剖してみると,高頻度でこの細菌が腸管上皮に観察されたので,ウサギがスパゲッティバグをもっていると腸管病原性大腸菌の感染に抵抗性を示すという結論に達した。論文としてまとめるためにはスパゲッティバグでは具合が悪いので分類の専門家に尋ねたところ,segmented filamentous bacteria (SFB)という立派な名前をもっていることが明らかとなった。

 SFBについては腸管粘膜固有層の宿主免疫系,特にIL-17を制御している細菌として非常に注目されているが,当時の我々にとってSFBの出現は悪夢であった。後の実験でSFBをもつマウスは病原性細菌の感染に対して抵抗性を示すことが再確認され,我々の出した結論は正しかったことが証明されている。しかしながら当時の私にはSFBの重要性が理解できなかったのと,何よりも病原細菌の研究に固執したかったので,別なプロジェクトに移行してしまった。SFBは培養が困難でその解析は遅れているが,やがてはプロバイオティクスの領域で応用される日が近い。

16. 留学で学んだこと
 2年の留学期間で帰国するはずであったが実験上の様々な不運が重なり,結局,私は4年間カナダに滞在することになった。しかし今のアカデミックなキャリアがあるのも留学を通してのアウトプットがあったからだと思う。

 日本と海外先進国の研究環境を比較した場合,日本が劣っていることはなく,むしろ様々な面で整備されていることに気づく。順当に業績を残したいのであれば,わざわざ留学というリスクをおかさなくても日本でやっていくことは十分可能である。

 それでは何故留学が重要なのか?というと,私は脳力の再構築にあるのだと思う。英語が通じず何をするにも多くのエネルギーと忍耐力が必要で「自分だけでは何もできない」と,無力感を痛切に感じるのも留学の醍醐味である。語学に堪能で,初めからコミュニケーションに問題がなければ,「苦労がともなわない=得るモノも少なかった留学」であったかもしれない。

 逆説的に言えば,英語はできなければできないほど留学から得られる経験は大きいと思う。これから留学を考えている若手の皆さんへの助言として,英語の勉強はほどほどにして留学することを強く勧めたい。細菌学の特別講義はこれで最後になるが,細菌の病原性発揮における精緻なメカニズムを感じ取って頂けたら,筆者として幸甚である。

2013-11-13

細菌学の特別講義 (第九限目)

14. ボルチモアからの撤退
 私はどのようにボルチモアから引き揚げたのか,今となってはその記憶も定かではない。

 ただ電車に揺られ,どこかの駅に止めてあった錆びついたコンテナ列車を眺めながら「もう二度とこの土地には来ることはない」と思ったのである。

 バンクーバー国際空港に降り立つと,久しぶりの妻が,そこにいた。空港から妻が運転する車で,四条 (4th streetにあった)という寿司屋に直行した。ボルチモア滞在の2ヶ月間,酒は浴びるほど飲んだが,日本食は一度も食べていなかった。寿司を食べながら,問題は山積しているものの,治安の悪いボルチモアから生きて帰れたことに感謝した。

 翌日,憂鬱な気持ちで教授室のドアをノックした。ボルチモア行きは1ヶ月という期間をボスから言い渡されていたが,それを振り切って2ヶ月滞在した理由をボスに説明しなければならなかった。

 決定的なのは,ボルチモアから分与を受けた菌株は,ウサギに投与しても何ら病原性を示さないことであった。ボルチモアでの2ヶ月間の実験結果は,今まで作製した変異株を全部捨てて,再度,新たな菌株で変異株を作製することを意味していた。しかしそれ以外に選択肢はなかった。これについてはボスも了承してくれて,何とか研究を継続することができた。

 問題はウサギに感染する腸管病原性大腸菌をどうやって選択するのかについてであった。文献を調べた結果,ウサギの腸管病原性大腸菌の研究は,ヨーロッパでさかんであることがわかった。私はいくつかの研究機関に手紙を送り,最終的にベルギーの研究機関から腸管病原性大腸菌を入手した。ボルチモアで習得した感染実験系を立ち上げ,ベルギーより分与された菌株の病原性を確認したところ,ウサギに下痢を惹起したのでこれを親株として変異株を作製した。

 結論から述べると私の研究はうまくいって,III型分泌装置が腸管病原性大腸菌の下痢発症に関与することを,はじめて明らかにすることができた。この研究内容を,私の領域では権威がある J. Exp. Med. に投稿することができた。

 どんな雑誌に出そうか悩んでいた時に,となりにいたドクターコースの学生が,私に向かって,

「Infect. Immun. なら大丈夫だと思う」

と,言ってきた。この雑誌もまあまあではあるが, J. Exp. Med. と比べたらインパクトファクターが低かった(注1)。この学生が,私の研究内容を過小評価していることにカチンと来て,

「Infect. Immun. なら日本にいても書ける。ここまで来て,出すようなジャーナルじゃない!」

と,啖呵を切ったことを覚えている。ともかくも,3年の苦労に見合うだけのジャーナルが欲しかった。晴れて,J. Exp. Med.に自分の論文が掲載されたときは,涙がでるぐらい嬉しかった。

しかし,J. Exp. Med. 投稿に至るまでには,于洋曲折があった。ベルギーから分与された株での実験においても,結果が大きくばらつくことがあった。

それは,スパゲティーバグと呼んでいた,ある細菌の出現であった。

(最終回へ続く)


注1:もちろんジャーナル云々ではなく内容が重要です。まあしかし,当時の私は,生意気でした。。。


2013-11-08

細菌学の特別講義 (第八限目)

13. ポスドクDの名誉のために

ここで登場するポスドクDはいい加減な奴にしかみえないと思う。

Dと一緒にクラブにいくと必ずウオッカのコーラ割りを注文していたが,彼の行動はとても大胆であった。カウンターにいる店員の前で,出された飲み物をすばやく一口すすって「もう少しウオッカを足してくれ」と言うのである。ほとんどの場合は,うまくいいった。しかし,僕に出された飲み物でもDは同じことをするので,かなり濃い目のウオッカコーラで酔ったのを思えている。

ここからは,Dの名誉のために,彼の話を少しだけしてみよう。

彼の研究に賭ける執念は私より上であったと思う。

当初,Dはボルチモアにあるビッグラボにポスドクとしてアプライするが断られてしまう。普通なら諦めるところであるが,彼はなんと隣のラボのポスドクにアプライして,ポジションを獲得したのである。

昼間はラボのメインプロジェクトをおこない,夕方からは行きたかったビッグラボの研究テーマを遂行した。彼は夜遅くまで研究をおこない,夜遅くまで飲んで,しかし誰よりもはやくラボについて,実験をした。

そのような日々が何年か続いた後,彼は大発見をして,ビッグラボのボスにもようやく認められ,念願のラボに入ることができたのである。

Dのすごいところは,ダメでも隣のラボまではいってやろうという執念である。沼地にいるような研究生活を送り,最後に,固い岩の上に立つことができたDは,すごいと思った。

現在,彼はPIとして独立ラボを構えている。ボルチモアでの研究生活は散々であったが,彼との出会いは,私の記憶のなかに強烈に焼き付いている。

2013-11-02

細菌学の特別講義 (第七限目)

11. 失敗の日々は容赦なく
 はるばるバンクーバーからボルチモアにきて感染実験を行ったが,ウサギに下痢を起こすはずであった腸管病原性大腸菌は,まったく下痢を起こすことはなく,私の実験は失敗に終わった。
 当初の研究期間は1ヶ月であったが,「実験がうまくいくまではラボへは戻らない」と,カナダのボスにメールを送ってさらに滞在することにした。
 我々が使用していた株は,ボルチモアから譲り受けたものであった。このボルチモア株がウサギに下痢を起こすという彼らの論文は,虚偽であったのだろうか。。。
 私はこのボルチモア株を親株として,III型分泌装置の欠損株を作製しており,親株に病原性がないのでは研究にならない。留学での貴重な1年が水泡に帰すことを意味していた。

12. この時点では何もわからないこと
 私はとんだ偽物をつかまされたと怒り心頭であった。
 その怒りはボルチモアでの滞在が長引くにつれて増大していった。しかし後の解析で,北米のウサギはかなりの頻度で腸管病原性大腸菌のボルチモア株(あるいは類縁株)に汚染されていることが解ったのである。ようするに,ウサギは既にこの菌株に対して免疫を獲得していたのである。さらに,Segmented filamentous bacteriaの存在が,感染実験に大きく影響した。しかし,ボルチモアにいた時点ではそのようなことを知るすべもなく,培養条件や菌数を変えたり,あらゆることを試したが全てうまくいかなかった。

13. 敗北の日々
 ジイさん連中に混じって赤いジャケットまで着たのに,何故うまくいかないのか。。。そのような憂さをはらすべく,ポスドクのDと夜ごとバーにでかけた。バーボンをビールで流し込んで,ビリヤードで遊んだ。ジュークボックスから流れる音楽は,いつもDの好きなAC/DCだった。

「あなたたちは私たちを殺す気なの?」

と,かなりきつい口調で典型的なアメリカ女性に言われたことがあった。私も彼女と同意見であったが,Dはいっこうに気にする様子もなかった。万事がこんな感じであったが,この街は危険なので遊べる場所はかなり限定されていた。
 それでも一度,フェルズポイントというところまで足をのばして,バーをハシゴした。2人ともかなり酔っ払って適当なバーに入ろうとしたところで,セキュリティーに制止された。
 はっきりとした口調で「おまえら,ここに何をしに来たのだ.....(あとは人種差別的なオンパレードが続きます)」と,怒気を含んだ声で,詰め寄られた。
 一気に酔いが醒めたが,明らかに間違った場所に行き着いたのだと思う。それでも撃たれる危険性のあるイースト地区を歩いて帰るわけにはいかなかった。寒空のなか,ようやくタクシーを捕まえて住み慣れたダウンタウンに戻った。
 腹がすいたので,そして正気を取り戻すべく,Dとハンバーガーショップに入った。Dはハンバーガーに添えられていたフライドポテトにグレイビーソースをかけようとしたが,かけたのは蜂蜜であった。

「Dよ,おまえは蜂蜜をかけているぜ」

というと

「俺は蜂蜜も好きなんだ」

と,わけのわからない答えが返ってきた。毎日がこんな感じであった。今日が何曜日であるのかもわからない。サマータイムになったのも知らない。

 どうやってこの状態からリカバリーするのか全く見えないままに,アルコールも抜けきれないまま,敗北感を抱きながらバンクーバーに戻った。

2013-10-23

細菌学の特別講義 (第六限目)

8. バンクーバーからボルチモアへ
 グラム陰性菌の病原性解析の利点として,染色体上の任意の遺伝子を破壊させることが可能なことである。これにより親株と欠損株の比較解析が可能になり,単一遺伝子の欠損でどこまで病原性が低下するのかを精査することが可能である。当然,単一の遺伝子の欠損株で病原性が大きく低下するような表現系であれば,当たりくじを引いたことになる。

 変異株を作製してしばらくすると,私はボルチモアという場所に飛ばされた。ボスに変異株を作製したので,感染実験はどのようにしていくのか話を切り出した。感染実験などしたことがないし,私だけでは絶対無理であることを強調した。それならボルチモアに知り合いがいるので,そこで共同研究するのはどうかと話が展開していった。そこで1ヶ月の研究期間で,妻をバンクーバーに残して米国のボルチモアに飛んだのである。

 ボルチモアは南北戦争の舞台にもなったところで,アメリカの国歌もここで生まれたらしい。しかし,現在ではダウンタウンから人口が流出し,中心部のスラム街が大きくなって治安の悪化が進んでいた。私がお世話になった大学は,まさにダウンタウンに位置しており治安が,尋常じゃなく悪かった。

9. 共同研究は初めから嫌な予感がした

 ボスと受け入れ先の連絡がうまく取れておらず,宿泊先もなかった。急遽,ポスドクのアパートメントに身を寄せることになった。このポスドクはDとしておこう。Dはオーストラリア出身のAC/DCに心酔しているポスドクで,音楽の趣味を別にすれば,ダウンアンダー特有のアバウトさがいい感じだった。宿泊先はなんとか確保したが,さらに難題が待ち構えていた。

 受け入れ先のボスが,IDカードの申請を大学にしていなかったので,大学の研究施設にはいれるのは,2週間後だという (治安が悪いので共同研究よりも大学全体のセキュリティーが優先された)。
 こんな馬鹿な話を聞いた後では,何もかも放り出してカナダに帰りたくなった。そこのボスが考えた苦肉の策として,大学病院で働くボランティアの試験を受けてみないか?ということであった。

10. 毎日,「まっとうな職につけ」と言われた

 その試験に受かればミールクーポン付きだという。病院で働くボランティアのほとんどは,定年退職をとうの昔に過ぎたお年寄りであり,病院フロアの掃除が,おもな任務である。最悪なのは,ボランティアとして認識されやすいように,赤いブレザーと白ズボンの着用が義務付けられていたことであった。

 唐突に,試験がはじまった。つい数時間前までバンクーバーにいて,今は見知らぬ土地で,お年寄りに混じってビデオを見ている。しかしこのビデオが終わったあとに,ボランティアになれるかどうかの筆記試験が待ち構えていた。ここでIDカードを取れなかったら大学に入れるのは,2週間後だ。かなり必死に頑張って試験にパスして,晴れて病院のIDカードと赤いジャケットが支給された。

 このような経緯もあって大学から正式なIDを発行してもらうまでは,赤いジャケットを着てフロア清掃に従事し,清掃が終わってから,やっと本来の研究生活がスタートした。

「おまえはまだ若い。ボランティアではなくまっとうな職につけ!」

と,お年寄りに散々言われ,さらに病院の食事は不味く,無料のランチ券はほとんど使用することはなかった。

私は何故,ここにいるのだろうか?

このような日々に追い打ちをかけるように,そこでの実験も,うまくいかなかった。(続く)

Scrivener と Pages の連携はすごい!

いま,ほとんどの文書をScrivenerで書いております。

現在,執筆中のものは,Scrivenerのファイルサイズが1.65 GBです。このファイルに,Webのタグ,論文PDF,作成した原稿・図表がすべて詰め込まれています。動作は非常に軽快で,ワードで書いている時のモッサリ感が全くありません。

Scrivenerの良さについては,このブログでたくさんお伝えしてきましたが,唯一欠点があるのです。

それはワードファイルの扱いです。他のアプリと違って,ワードファイルは一旦取り込んだら,再びワードフォーマットで開くことができないのです。

これとは反対に,イラストレーターのファイルなどはScrivener内でプレビューされますが,クリックすると再びイラレでの編集が可能になります。

ところが,ワードファイルは,変なフォーマットに変換されてしまい,二度とワードフォーマットで開くことができないのです。なので取り込んだワード内の図表は,てんでバラバラに表示されてしまいます。

ここだけは改善してほしかった。。。

本日,何気なく Pages (Macのワープロソフト)のファイルをScrivenerに放り込んだら,変な処理をされずに,ふたたびPagesで開くことが可能でした。これにはすごく感激です!

最終版はPagesでフォーマットして,出版社に送る時にワードファイルで書きだすという操作が可能なのです。

Scrivener内に,表とか挿絵のフォーマットが崩れないPagesの文書があるのは,気持ちが良いですね。

新しいPagesも,買ってみたくなりました。以上,非常に間口のせまいマニアックな情報でした。すみません。

2013-10-20

細菌学の特別講義 (第五限目)

6. はじめに病原細菌ありき
 留学先での研究プロジェクトは,腸管病原性大腸菌の感染実験系を確立することであった。腸管病原性大腸菌と血清型O157に代表される腸管出血性大腸菌は,ともにIII型分泌装置と呼ばれる病原因子排出装置が下痢発症に関与していることが推察されていた。
 III型分泌装置は多くのグラム陰性病原菌において高度に保存されており,その分泌装置を介して菌体外に分泌されるタンパク質(エフェクター)は,多彩な性質を示すことが明らかになりつつあった。
 いくつかのグループで腸管病原性大腸菌の分泌装置とエフェクターの機能について研究が行われていたが,III型分泌装置と病原性の関連についてin vivoで証明したグループはなかった。
 その最大の理由として,ヒトに感染する腸管病原性大腸菌はマウスに感染せず,適当な動物実験系がないことがあげられた。そこでFinlayラボではウサギに感染する腸管病原性大腸菌を用いて,感染実験系を立ち上げることになった。腸管病原性大腸菌の欠損変異株を作製し,その欠損株をウサギに感染させた場合,下痢を発症しなければIII型分泌装置は下痢発症に関与することが証明される。
 もし,病原性に関与しないのであれば,ボスのグラント獲得にも影響することを意味していた。単純な実験であるが,感染実験をおこないIII型分泌装置が病原性に関わることを証明する必要があった。

7. ポスドクとしてのスタンス
 留学先では週に一度,ボスと1対1でのディスカッションをおこなっていた。カナダでの最初の実験をおこなうに当たり,どのような手法で欠損変異株を作製するのかについて,ボスに意見を聞いた。
 その時,ボスが言ったことは今でも覚えている。「アキオ,ポスドクというのは自分自身で,全ての研究計画を立ててやるものだ」と。ボスは感染実験系を確立してほしい。私に要求したのはこれだけで,あとは自分の好きなようにやって良いらしい。そして,実際にそうした。
 月に一度,ラボ全体のプログレスレポートがあったが,私の発表はしどろもどろで話の半分以上は伝わらなかったのではないかと思う。ミーティング後,ディスカッションも満足にできず落ち込んでいるときにボスが私の肩に手をおきながら,「君は英語の勉強をするためにここにきた訳じゃない。だからあんまり気にするな」と励ましてくれたのである。
 留学当初は何もかも慣れないことばかりで,毎日が苦痛であったが,このようなボスの一言は私にとって大きな励みになった。ポスドクのなかにはペースダウンしてカナダの生活をエンジョイするものもいたが,私は他のポスドクが休みを取る土曜日もラボにきて,英語が通じなくて遅れている部分を実験量でカバーした。
 また,ラボの菌株やプラスミドのデータベースを作製したり,コンピューターのトラブルをなおしたり,他のポスドクがやりたくないような雑用を引き受けて,「あいつは英語をまともに話せないけれども,馬鹿ではないらしい」ということをアピールしていった。
 いや,アピールという表現は正確ではなく,日頃,他のポスドクの足手まといになっていたので,私は自分なりのやりかたで彼ら彼女らに本当に恩返しをしたかった。
 海外で,欧米人としての流儀ではなく,日本人としての流儀で,ポスドクとして生きていくことは十分可能だと思う。

2013-10-19

細菌学の特別講義 (第四限目)

4. 転写制御からin vivoの研究へ
 日本で行っていたサルモネラの研究を発展させるべく,Finlay博士の研究室での生活がスタートしようとしていた。少なくとも当初の予定ではそうであった。しかしながら,数人のポスドクが既にサルモネラ研究を行っており,サルモネラよりも腸管病原性大腸菌(enteropathogenic Escherichia coli, 以下EPECと略す)の研究を行って欲しいと,Finlay博士から提案があった。
 EPECは腸管出血性大腸菌(enterohemorrhagic E. coli, 以下EHECと略す)と共通したメカニズムで下痢を発症することが知られている。EHECは病原性が強いので(約10菌数で感染する),多くの研究者はEPECを用いてEHECの下痢発症機構を解明しようとしていた。
 現在ではEPEC,EHECともにIII型分泌装置によって宿主に移行するエフェクターの機能によって下痢を発症することが明らかになっているが,1995年当時,下痢発症機構は謎に包まれていた。
 EPEC/EHECの下痢発症機構を研究するためには,in vivoでの感染実験が必須であるが,EPEC/EHECはマウスなどの齧歯類には下痢を惹起しないことが既に報告されていた(注1)。このような状況で,なんとか動物実験で下痢を起こすようなシステムを立ち上げて欲しいというのが彼の希望であった。
 それまで私は動物実験の経験がほとんどなく,また,このプロジェクトを開始したら相互作用解析の研究から遠のくことを意味していた。

 自分にとって,経験もなく無謀なプロジェクトであったと思う。

 それでも私は日本人としての美徳から,彼のオファーを断ることができずに「はい」と返事をしてしまった。彼は「はい,という意味は日本語でYesなのか?」と聞き返してきた。留学初日でサルモネラ研究をより深く展開するという思いは,EPECというまったく別な研究材料になってしまい,相互作用解析は,in vivo感染実験系の確立というテーマにすりかわってしまった。
 それでも,ある程度の実績を出したら,自分の思った領域に研究を展開していけば良いという楽観的なところから,カナダ留学はスタートした。日本でのEHECによる大規模な食中毒が起きたのは,それから1年後のことである。

5. 留学当初の憂鬱な日々
 ボスの一言でサルモネラから腸管病原性大腸菌へと研究対象が大きく変わってしまったが,晴れてFinlayラボの一員になることができた。
 しかしながら,確実にやらなければならない細々としたことは,津波のように押し寄せてきた。
 私は大学でのセットアップ,妻はアパートメント探しに奔走した。英語がうまく話せないなかで,妻も私も疲労困憊であった。大学ドミトリーの仮住まいが10日ぐらいしたところで,ようやくギリシャ系移民のビッキー宅にお世話になることができた。
 カナダ,バンクーバー周辺の建物は1階部分がベースメントとよばれる作りになっており,半地下状態のような家屋になっている。日当たりが悪いために自分たちでは住まないで賃貸にまわしている場合が多いが,ビッキーのベースメントは日当たりも良く,なによりも美しい海岸に近くにあった。
 なんとか住むところは決まったが,スーパーの買い物でさえ苦労させられた。もちろん英語を流暢に使いこなせればたわいもないことであったが,日常の買い物や銀行の口座開設などで悩んだりすることが多かった。同時期に来たフランスやスエーデンのポスドクたちは,すぐに日常生活に溶け込み,ラボのセットアップも楽しそうにしているのに,私のほうは制限酵素の注文すら思うようにできないでいた。
 試薬を一つ手に入れるのでも,実験室を仕切っているテクニシャンに確認を入れ,試薬を扱っているデパートメントを探し当てなければならない。日本にいれば数分で済むことも,どうして良いのかわからず,数時間を費やしてしまうことが少なくなかった。
 当初はこのような連続で,留学は自分にとって本当に正しい決断であったのか?というところに思考が収束していった。しかし留学全体を通してみれば,Finlayラボに4年間滞在することになり,ラボの最古参の一人になるのだから,人生はわからないものである。

注1: 最近では,EHECの感染系に Germ-free mice (無菌マウス)が使われております。まあでも本来のEHECの定着は,再現できないでしょうね。

2013-10-18

細菌学の特別講義 (第三限目)

このへんから留学の話になります。これから留学を考えている方にオススメします。

3. 1995-1998: カナダ留学
 転写制御の研究で学んだことは,病原細菌は常に病原因子を産生しているのではなく,ある決められたタイミングで,複数の病原因子を同調して産生することである。例えばヒトに感染する病原細菌の多くは,ヒト体温に近い37度で病原因子を産生し,それ以下でもそれ以上でも産生しない。一方,同じ種に属する病原細菌でも,宿主が変われば病原因子発現における温度域も変化する。例えばウサギに感染するある種の病原細菌は,ウサギの体温に近い40度付近で病原因子を産生し,ヒトの体温付近ではまったく産生しない。
 このように病原因子発現の温度域は,病原細菌の宿主特異性を解く一つの答えにもなっている。転写制御の研究ではグローバルな病原因子の振る舞いを学ぶことができたが,感染の最前線にある現象を具体的に理解したかった。すなわち,病原因子と相互作用する宿主側因子を同定することで,感染に関与する宿主側因子を分子レベルで明らかにしたかったのである。
 当時,日本においてもそのような研究は行われていたが,研究者層と言えるほどの発展を見せていなかった。それならば海外のトップレベルの研究機関に赴き,研究のノウハウを一から学んだほうが手っ取り早いのではないかと思い留学を決意した。そこで,病原因子と宿主側因子の相互作用解析を精力的にこなしていた2人の研究者に的を絞って留学計画を立てた。
 一人はJorge Galán博士(現Yale大学教授)で,もう一人はBrett Finlay博士であった。両博士は,今では細菌学の権威となっており,私の研究者評価は間違っていなかったことになる。妻も同行するので,最終的には治安が良いカナダを選択し,Finlay博士のラボがあるブリティッシュ・コロンビア大学に焦点を絞った。
 Finlay博士はスタンフォード大学のStanley Falkow博士のもとで学位を取得後,生まれ故郷のカナダに戻り,研究の拠点を構えたばかりであった。彼は私より2つ年上で,引退間際の大御所のお世話になるよりは,身近なメンターであり続けるような人物のほうが自分にとってふさわしいと考えた。
 北里研究所の先輩からは「指導者としては若すぎる」という批判を頂いていたが,自分の直感を信じることにした。そこでFinlay博士に手紙を送り(当時,E-mailは限られた機関でしか稼働していなかった),じっと待つことにした。ようやくFinlay博士から返事があって,米国微生物学会で会おうという短い内容が添えられていた。
 微生物学会でてっきり彼からインタビューを受けるものだと思い,緊張の連続で,会場があったラスベガスに乗り込んだが,力強く握手された後にOKと言われ,10秒ぐらいで彼は去ってしまった。
 上原記念生命科学財団のフェローシップを獲得していたこともあり,彼としては私の能力がいまひとつでも失うものはあまりなかったのであろう。彼の唐突な感じは私を不安にさせたが,カナダに行くしかないと勝手に決め込んでいた。
 1995年4月16日に妻と私はバンクーバー国際空港に降り立ち,そこでタクシーを捕まえて,ブリティッシュ・コロンビア大学のドミトリーに一時的に身を寄せた。
 それから1998年3月19日までの4年間をカナダで過ごすことになった。

2013-10-17

細菌学の特別講義 (第二限目)

1. 1980年後半:研究のスタート地点でつまずく
 酵母におけるmRNA 3’末端生成の機構に関する論文でなんとか学位を取得し,また,酵母の発現ベクターについては特許取得までこぎ着け,まさにこれから研究が開花しようとする時期であった。しかしながら,真核細胞における転写制御の研究で,これから独立してやっていけるのかという不安も隠しきれなかった。
 当時,オランダのハーグで酵母の国際学会が開催され,今までの研究内容をプレゼンする機会に恵まれた。私にとって初めての国際学会であり,会場で著名な研究者とも出会うことができて,何もかも新鮮であった。
 そのなかでも強烈なオーラを放っていたKevin Struhl博士 (現Harvard Medical Schoolの教授で,今なお転写制御の領域を牽引している)のプレゼンテーションに雷に打たれたようなショックを受け,そのときかなりはっきりと「私はこの領域で生き残れない」と確信した。
 彼のように転写制御の研究を自分なりの視点で切り開いていくことができるのか自問自答し,それは無理だと判断して,暗澹たる気持ちで国際学会を後にしたことを覚えている。
 転写制御研究が未来に繋がっていないのならば,日本の細菌学の源流である北里研究所で,細菌について一から学びなおすのも良いのではないかと思い,30歳を目の前にして研究領域を大きく鞍替えした。
 細菌ならゲノムサイズも小さいし何とかなるだろうという楽天的な気持ちだった。
 結局のところ,競合が激しい転写制御の世界から逃れたかったことも大きな理由であったと思う。

2. 1990年初頭: 転写制御における個人的限界から病原因子そのものへ
 挫折感を抱きながら北里研究所の細菌研究室に入室し,まっさらの状態で病原細菌の研究を開始することになった。当時の指導者は檀原宏文先生で,細菌を題材にした初めての研究テーマは,サルモネラのプラスミド性病原遺伝子における転写制御の解析であった。
 酵母で行ってきた研究領域に近いところから細菌の病原性発揮のメカニズムを解析しようというのが当時の私の考えであった。真核生物では一本のmRNAにコードされる遺伝子は一般的に一つであるが,細菌では一本のmRNAに複数の遺伝子が連座している場合が多く,ポリシストロニックなRNAを構成している。
 また,細菌のmRNAはキャップ構造やポリA構造も持たないために非常に不安定であり,RNA研究は時間との勝負であった。 このような違いから解析に手間取ったが,細菌学会の関東支部総会でプラスミド上に存在するSpvRと呼ばれる正の調節因子について,その制御機構について発表する機会を得た。
 しかしながら,私の研究内容はなかなか受け入れてもらえなかったのである。SpvRが自身のプロモーター領域にも作用し,自己の転写活性をあげるという作業仮説を提唱したが,最初に発表した時点ではSpvRの抑制機構については不明であった。
 当然, 学会の重鎮から反論があり,「正の調節因子であるSpvRが自身のプロモーターに作用したら,転写が止まらなくなる。だから君の研究は論理的におかしい」というものであった。反応は予想できたが,いざ学会の重鎮にこのような発言をされると私の行っている研究が間違っているのではないかという空気が流れ,新しく入った学会はひどく居心地が悪かった。
 そもそも論理的に考えて生命現象が理解できるのなら,研究という領域はひどくつまらないものになっていたはずだ。転写はDNA上のプロモーターと呼ばれる領域に,RNAポリメラーゼが結合することで開始され,mRNAを合成していく。プロモーター領域にはRNAポリメラーゼの他に,転写の活性化を促進するタンパク質,あるいは抑制するタンパク質が結合することで,タンパク質の合成を転写レベルで調節している。
 論理的に破綻しているようにも見えるSpvRの転写はどのように調節されているのであろうか? SpvRは下流に存在しているポリシストロニックなspvABCD RNA (spvA, spvB, spvC, spvD遺伝子が一つのmRNA上にコードされている)の転写を正に調節している。実は最上流に位置するSpvAは負の調節因子であり,正の調節因子であるSpvRはSpvAによって負のフィードバックを受けることで,過剰な転写が進行しないように調節されていたのである。
 こうしてSpvRの制御における謎は自分自身で解くことができたが,転写調節の研究をいくらやっても感染現象には辿り着けないのではという思いが,次第に強くなっていった。
 今でこそトランスクリプトーム解析が花盛りで,細菌の病原性解析に大きく貢献しているが,当時の私は放射性物質で標識されたプローブを使ったmRNA解析に辟易していたのである。
 ラジオアイソトープ施設のなかにいたのでは,細菌の病原性解析にせまれない。そこから出て行く必要があると思い,留学を決意した。
 留学先はカナダ,バンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア大学でBrett Finlay博士の研究室に身を寄せることになった。(続く)

2013-10-12

細菌学の特別講義 (第一限目)

【プロローグ】

 当時の学生の大半がそうであったように,就職は活動して内定を得るものではなく,所属研究室の指導教官の推薦に依存しているところが大きかった。 学生時代に所属していた研究室の指導教官は大村智先生で,当時,北里研究所の副所長を兼任されていた。私は大村先生の推薦で北里研究所を受けることになった。面接試験の会場で理事から,「現在,興味のあることは何ですか」との質問があり,研究のことについて一気にまくしたてたが,彼が聞きたかったのは趣味とか時事問題とかそういった事項についてであった。それでも何とか面接試験にパスして,日本の細菌学発祥の地,北里研究所で修士卒の研究者として働くことになった。

 北里研究所はワクチンも製造しており,最初に与えられたテーマは,酵母を宿主とする発現ベクターの開発であった。 細胞内で自己複製が可能な環状のDNAはプラスミドと呼ばれており,そのなかでも外来タンパク質の産生に特化したものは,発現ベクターと定義されている。私の研究テーマをもう少し詳しく説明すると,酵母内でB型肝炎ウイルスの表面抗原の産生を可能とする発現ベクターの開発であった。 当時,B型肝炎ワクチンの製造は,肝炎に感染した患者血漿からウイルスの表面抗原を精製して製造していた。大量調製が困難であることと,バイオハザードの問題から,多くの企業が肝炎ワクチン製造の新たな基盤技術の確立にしのぎを削っていた。

 酵母は高等真核細胞と多くの点で共通しており,宿主細胞内で修飾を受けるウイルス表面抗原などの大量精製に適していた。発現ベクターは外来遺伝子を効率よく発現させるために,プロモーターと呼ばれるRNAポリメラーゼの結合領域に改良を加えたり,mRNAの安定性を保つような工夫がなされている。私はmRNAの安定性に影響を及ぼす3’末端生成の仕組みについて,興味を持つようになった。高等真核生物や酵母では長い前駆体RNAが合成されたあとに3’末端側の特異的な部位で切断され,切断部位にポリAが付加されることでmRNAの3’末端が生成する。酵母においてRNA切断とその後に起きるポリA付加に必要な配列は26塩基内に存在することを見いだし,深沢俊夫先生(現慶應大学医学部名誉教授)のご指導のもとで,EMBO Journalという雑誌に投稿した。これら一連の研究で博士号を取得したが,研究者人生が順風満帆であったのなら,今回の 「細菌学の特別講義」はなかったと思う。

 少々前書きが長くなったが,ここ十数年の間に細菌学におけるパラダイムシフトが起きたことは,事実である。パラダイムシフトの中心にあったのは,III型分泌装置とそれによって宿主に移行するエフェクターの発見である(少々断定的ですがご勘弁を)。この特殊な分泌装置の発見は,研究領域にも大きな影響を与えながら病原因子論の根幹を塗りかえていった。赤痢菌やサルモネラの宿主細胞への侵入機構は長らく不明であったが,ここ十数年のエフェクター研究の進展により解明された。私の研究もこのようなパラダイムシフトの波に呑まれながら,なんとか波間を漂っているのが現状である。

 これから解説していく「細菌学の特別講義」では,細菌学の歴史について論ずるつもりはない。ここ十数年の間に起きた病原因子論の大きな移り変わりのなかで,細菌学者は何を掴むことができたのかを,いくつかの連載にわけて紡いでいきたいと思う。たまたま私は,細菌学のパラダイムシフトがおきる直前にこの領域に足を踏み入れ,留学時代には分子細胞生物学的な手法で感染現象を解明していくアプローチの重要性を痛感した。

 極めて個人的な視点から,細菌学の領域で何が起きたのかを,少し時間を遡って時系列的に述べていきたい。(二限目に続く)

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注記:関東化学に掲載されたものに加筆訂正しました。

2013-10-11

Singapore International Pre-Graduate Award (SIPGA)

ご無沙汰しております。

Singapore International Pre-Graduate Awardというのがあって,M2の西村君が応募したら,見事,短期留学につくことができました。

昨年の暮れにこの話を聞いた時,応募してみれば〜,ぐらいの軽い気持ちで了承したのですが,無事にパスしました。

このプログラムは主に修士学生を対象にしておりシンガポールの一流研究機関で研究をおこなうことで,いろんなことを学ぶというものです。

また留学先から,給与みたいなものが支給されるので,観光ビザではなく就労ビザを取得する必要がありました。宿泊先の選定とか,そういったものを急いでそろえて,今ごろは成田空港でドキドキしているはずです。

修士2年の重要な時ですが,彼の人生にとっては,もっと大きな賭けかもしれません。それに,何が重要で何が重要でないかは,長い目で見た時に,大きく変わります。

3ヶ月後にいろんなみやげ話をもってくるでしょう。

体調に気をつけて,頑張ってくださいね。


Why join the navy if you can be a pirate?



2013-09-04

いまどきの不織布ポスターはすごいです

急遽,ポスターをつくることになりました。

これまではA4に印刷して,それをペタペタと並べていたのですが,さすがに,このような職人技でプレゼンする方は少なくなりました。それに,画鋲で何枚もとめるのは時間がかかります。

そこでポスターをアクセア田町店で外注しました。

ポスターはA0とよばれる一般的な学会会場でみられるサイズです。

はじめに,イラストレーターでA0サイズに用紙設定してから作業を進めました。ただし,動作が非常に遅くなる場合があります。そんなときは,一度アプリを終了させてメモリー解放すると,サクサク動くようになります。

最後は,全選択して「書式メニュー>アウトラインの作成」で,フォントをアウトライン化します。これによりフォントは画像として扱われるようになります。出力センターの機種(フォント)に依存せずに打ち出しが可能となります。

紙媒体のポスターを,バズーカ砲みたいな筒にいれて運ぶのは大変だなと思っていました。一方,不織布ポスターは,解像度が悪いという印象がありました。

今回,アクセアさんのプリントアウトを確認して,これはイケると思いました↓ しかも1時間ちょっとでポスター受け取りが可能なので,ぎりぎりまで作らない僕にとっては,このへんもありがたいです。。。

今後は,不織布ポスターで発表したいと思います。

紙媒体とほぼ同じ解像度です。ゲルのバンドも綺麗!

2013-09-01

8月の終わり

気がつけば,8月も終わりですね。

パラオでの夏休み,若手コロッセウムのあとは,宿題がたまりにたまった子供のように,ラボに篭っています。いま手がけている参考書も,いよいよ佳境に達してきました。

どんな参考書にしようか? それよりも,僕がかけるのか。書けなかったら,どうしようか。。。

散々,迷った挙句,僕は書くという決断をしました。そして,書くのなら自分なりに納得できるコンテンツにしたいと思いました。これから校正がありますが,もうちょっとです。その内容は,しかるべき時に発表したいと思います。

*****

とは言いつつも,僕なりに夏の終わりを楽しみながら,過ごしていました。 花火を見に行ったり,ジムにいって柔術で汗を流したり,贅沢な時間を過ごしました。

そういえば,僕の通っているジムが新しくなります。

CARPE DIEM BRAZILIAN JIU-JITSU

Carpe Diem とは「今を生きよ!」という意味です。

過去でもなく,明日でもなく,今のこの瞬間を生きるのです。

呼吸が浅くなった時に,この言葉を思い出したいと思います。

あ,もう9月になってしまいました。

これからもよろしくお願いします。




2013-08-13

僕も若手コロッセウムのことをまじめに考えてみた



若手コロッセウムから,無事,生還しました。

どのような会であったのかは,発起人である堀口センセのブログを,ご覧ください。連動企画というわけで,僕もこの会の将来性について考えてみました。

その前にエピソードを一つ。
僕が第二回を担当したときのメール内容です。

以下メール内容 (原文ママ)
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第2回の「細菌学・若手コロッセウム」が下記日時で開催されます。 是非ともご参加くださるようお願いいたします。

私は細菌学会に所属しておりますが,この学会で育った若手研究者が,他学会の若手研究者とどう勝負するのか,激しくぶつけてみたいと思います。もちろん,負けてもかまいません。ひるまない,という姿勢が重要だと思います。

他領域からの素朴な疑問。究極的には,「そんなことをして何が分かるのか?」「何が知りたいのか?」,という問いかけは重要だと思います。異分野の研究者がお互いにノーガードで戦うことによって,闘いの果てに見えてくるものがあるはずです。

「若手コロッセウム」という命名は,大阪大学の堀口安彦先生です。「若手ピグマリオン」のほうがマイルドでいいんじゃないかと,私は提案しましたが,「これでいくんじゃ」と本人の意気込みがひしひしと伝わってきました。ということで,真剣勝負,「若手コロッセウム」という命名は,強い若手研究者を育成していくというあらわれが感じられ,これで良かったと思います。

湘南国際村のまわりに何もありません。いったん入ったら抜け出すことは困難です(笑)。皆でリトリートし,3日間をサイエンスの話のみで燃焼しませんか。

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ということで,今後は「細菌学・若手コロッセウム」の広報活動を展開していきたいと思います。もちろん,細菌学会以外にも積極的に広報活動していきたいと思います。早速,帯広畜産大学の嘉糠さん(現慈恵医科大学)から,「俺たちはノーガードで行くぜ」というメールを頂き,「異分野の研究者がお互いにノーガードで戦う」というルール?を急遽作成しました。

「プライドを賭けて」とかよく使われますが,そういったものは,所詮,くだらない見栄であったり,自分が弱いためのガードであったり,弱さを隠すための防御反応であったりしますが,己の研究領域を曝け出し,それをお互いに尊重し合うようなリトリートにしていきたいと思います。
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というようなメールでした。なつかしいです。
2008年のときの自分は,明らかに突破力がありましたね。

この会は発足の以来,「細菌(カビふくむ)にたずさわるものなら所属学会は問わない」という不問律があります。細菌学会の支援下にありながら,少しだけ距離をおいたかたちで運営されてきました。

しかし,公のスポンサーをつけてこの会を安定させるためには「きちんとした母体を表明する必要性」もありました。この意見は,ワーキンググループのメンバーであった丸山史人先生から強く出されました。

当時,細菌学会の理事であった僕は,細菌学会HPに「若手研究者育成のための支援プログラムについて」という項目で,取り付けました。

そのときは「丸山君,面倒くせーな」ぐらいにしか思っていなかったのですが,実際に「若手の参加費・交通費」(八王子のとき)が,全てロハになったときには驚きました。

ワーキンググループは,僕が考えていたより会のことを熟知しており,またその運営もずば抜けていたのです。なので,この会に出席する必要はなくなったと思いました。

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今回は,桑江准教授が「研究に集中したい!」ということで,そう重くもない腰を持ち上げたのです。修士の学生さん2名に,行ってこい! で送り出すのは,指導者的に問題アリかと思ったのです。

2年ぶりにこの会に出席したのですが,すごく洗練されていましたね。他学会の若手もこの会に十分に馴染んでいたのが,印象的でした。
女性の参加者も多く,細菌学会ではありえない光景でした。もちろん,内容もマンネリ化することもなく新鮮でした。

この光景を,細菌学会の理事の先生にも,伝えたいと思いました。細菌学会には将来計画委員会があるのですが,若手コロッセウムから学ぶべきところは,たくさんあるはずです。

細菌学会のワークショップ規定では,発表者が「会員であること」の条件が必要であったりします(たぶん)。学会は会員会費でなりたっているので,基本原則だと思います。

しかし,たとえば,若手をエンカレッジするようなワークショップに限っては「他学会との融合プログラム」と称し,あまり会員というキマリに縛られないプログラム立案も可能ではないかと思います。

今の細菌学若手コロッセウムは,ほんとうに充実しております。そういった楽しさを,母体にいる若手会員にも知ってほしいと思います。

そこを有機的に繋いでいく接点は,ワークショップにあると思います。

細菌学会の将来は,すでに若手コロッセウムで,開花しているのです。

前田さん,西村君

楽しかった3日間でした。

若手コロッセウムのFacebookはコチラです。
近日中にその激闘ぶりが,公開されるでしょう。

2013-08-05

若手コロッセウム

もうすぐ若手コロッセウム@広島です。

この会がどのようにしてできたのかは,ココに書いたとおりです。

この会の大きな特色は,日本細菌学会の支援を受けていながら,細菌学会会員以外の参加者・発表者も受け入れていることです。この独立性が,若手コロッセウムの大きな特色であると思います。

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僕のラボにきた学生さんは,基本的にこの会に参加してもらいます。修士1年は聴講のみでOKですが,修士2年からは発表してもらいます。

今回は前田さんと西村君が出席します。僕は引率というかたちで出席です。この会には思い入れがありますので,久々に参加できるのは,とても嬉しいです。

学生さんは,せっかくの大部屋ですから,思う存分ディスカッションして,刺激を味わってほしいです。

そして,発表者の西村君(M2)は,細菌学会での重要な一歩ですから,がつんときめて下さい。何事も最初が肝心です。

良いプレゼンは,次の良いプレゼンに繋がっていきます。

発表のない前田さんは,その代わりに質問してください。

今回は,群馬大学の富田先生のところへ就職した久留島君も参加です。

そして,僕の相部屋は,堀口先生です。このへんは,定番ですね。


2013-08-03

パラオ

 娘がサカナと一緒に泳ぎたい! というので,パラオで夏季休暇を過ごしました。

夕日がとても綺麗でした。

第一次大戦後のパリ講和会議によって,パラオは日本の委任統治領となった時代があります。やがてABCD包囲網によって,日本に対する経済制裁が長期化し,1941年8月に石油の輸入が完全に途絶えます。
 日本は豊富な石油資源をもとめて,南洋の島々(オランダの植民地であった)へ活路を見出そうとします。その結果,間違った選択として,第二次世界大戦がはじまります。南国の楽園にしか見えないパラオも,日本の要衝として激戦地となりました。

 マングローブでおおわれた海岸のちかくに,旧日本軍の水上戦闘機をみることができました。海面下にある機体の損傷は激しいのですが,プロペラ部分はいまでも錆びつかず輝いていたのが,印象的でした。

旧日本軍が水上戦闘機の格納庫としていた天然の洞窟

 パラオ滞在中に「海賊とよばれた男」を読破しました。百田尚樹さんの著書です。読み応えがありました。
 「日本が石油の完全禁輸状態に対して,石油資源をいかに確保するのか?」という流れで,第二次世界大戦を俯瞰したドキュメンタリー小説です。また,この本にでてくる主人公は,出光興産の創業者・出光佐三をモデルにしております。戦後の厳しい制裁のなかで,今度はどのように「平和的に」石油を確保していくのかについて,出光佐三の選択がダイナミックに描かれています。こんな日本人がいたのかと,驚きました。まさに,男のなかの男です。

 さて,話はパラオにもどります。パラオの人たちはとても温厚で,リラックスした休暇をおくることができました。僕は,本を読んで,日記を書き続け,宿題の原稿をこなし,ほとんどインターネットにたよることなく過ごしました。
 娘のほうはプールとシュノーケリング三昧の日々を過ごしました。僕は,毎日,地元のレッドルースターというビールを飲んでいたのですが,帰国した時には,体脂肪が10%から8.6%になっていました。シュノーケルとフィンをつけた娘になかなか追いつけなくて,日々の終わりはいつもグッタリでした。無駄な脂肪も一気におちた休暇となりました。

 あっというまに8月ですが,充電完了です。
 
 さあこれから,また一踏ん張りします!


スコール。だれもいないプールで,ひたすら泳ぎまわる娘。

シュノーケリング!


2013-07-18

Pomera DM100 と Mac のやり取りは Shif-JIS が正解!

Pomera DM100を購入しました。

単機能に特化した見本のようなガジェットで,一昔前のワープロを彷彿とさせます。僕がワープロ 書院を売り払ったのは,20年以上も前の話で,その機能には,雲泥の差があります。

個人的なメーンテーマとして,

「枯れていく」

というのがあります。

複雑で機能満載よりも,シンプルで集中できる方向性です。その過程で,てんこ盛りのMSワードから,軽快なエディターへの移行があります。

しかし文章に集中するのなら,もっと「枯れた環境」があるはずだと,試行錯誤しました。

iPad mini ピッタリサイズのキーボードを使う! というアイディアもありましたが,思っていた以上に使いにくいものでした↓

ミニマルな環境でもありません。まあしかし,造形的な美学はあります。このキーボードは別の機会に報告したいと思います。

iPad mini + Ultrathin Keyboard Mini
ということで,前置きが長くなりましたが,Pomera DM100の登場です。名前からして脱力系ですが,実力はそこそこあるのです。

まずロングライフ! エネループ使用で,20時間ぐらいはもつらしいです。バックライト液晶も良い感じです。また,Bluetoothを装備しており, iPhone, iPadに接続すると外部キーボードになります。さらに,Bluetooth で Macにファイル送信できるはずですが,僕は失敗しました。それで,SDカードを介して,文書のやりとりを行なっております。

しかし,Macのテキストファイルを Pomera に入れると,派手に文字化けを起こしました。

インターネットで調べてみると,どうも Pomera - Mac 間の文書のやりとりは,Shift-JISが鉄則らしいです。Macについてくるテキストエディットの環境設定で Shift-JIS を選ぶだけで,文字化けはおこらなくなります。助かった。。。

ということで,Pomera,ファーストインプレッションでした。

名前がちょっと,,,なのですが,実力はあります。
Pomera, Mac純正キーボード,Ultrathin Keyboard miniです。

2013-07-16

NEX-5R + Super Rokkor 50 mm

僕は,数年に一度,カメラ熱とよばれる病気に感染します。ほとんどの場合,一過性で症状も軽いのですが,今回はやられました。。。

気がつけば,秋葉原のヨドバシカメラの買い物袋を,ぶらさげていたのです。

僕が選んだのは,ソニーNex–5Rとよばれるミラーレス一眼です。APS-Cサイズの素子を搭載しているのに,ポイント還元で5万円という値段にやられました。

以前,APS (アドバンストフォトシステムとよばれていました)対応のカメラを買って,失敗したことがあります。結局,時代は 35 mm フィルムを支持しました。ま,これはどうでもよい話です。

話を戻します。Nexはレンズ交換が可能です。なので,親父からもらった Super Rokkor 50 mm F1.8 というレンズを復活させたくなりました。このレンズは50年前ぐらいに作られたもので,ライカLマウントと同じ規格を採用しています。

当然,NexのEマウントには対応しません。そこでKIPONというLマウントアダプターもヨドバシさんで購入しました。電子接点がつながらないので,マニュアルフォーカスになります。しかし,Nexにはシャープな輪郭を検出するピーキングという機能があります。これを使うことで,フォーカスはかなりの確率で,ビシっときまります。

使っているうちに,Nexもいいじゃないか!と思うようになりました。Wifi機能も実装され,iPhoneにもダイレクト転送が可能です。また,Wifiポイントさえあれば,カメラからFacebookに直接投稿も可能です。うん,なかなかやります。

Super Rokkor F1.8の空気感は,とても良かったです⬇

こんなことなら,フォーカスが全くあわないコンタックス G1(注1)を売りに出さないで,とっておけばよかった。ライカIIIf も,Ultoron も,とっておけばよかったと,思います。

しかし,これもカメラ熱の副作用なのです。大事にとっておいたカメラも,あるとき全部処分しよう!となるのです。それが2003年ぐらいだったと思います。中野駅前のカメラ屋さんには,お世話になりました。

さすがにオヤジから譲り受けたカメラは売りには出さないで,本棚で余生を送っておりました。

それがNexを購入したおかげで,よみがえりました。まあしかし,写真撮影の腕はあがらないのに,いろいろなカメラ・レンズたちが,僕の前をよぎっていきました。

結論として,5万円でAPS-Cのデジタルカメラが購入できるとは,すごい時代になったものです。そしてまた,カメラとつきあうことになるかもしれません。

注1) コンタックスG1のデザインは,すごくよかったです。材質もチタン製で,かなり重厚なつくりでした。しかし,レンジファインダーの性能がいまひとつで,フォーカスが全くあいませんでした。あのデザインでデジタル化されたら,良いかもしれません。

M1の前田さん。Super Rokkorで撮りました。

M2の西村君。

NEX-5R にSuper Rokkorをつけました。

2013-07-10

ホエイプロテイン VS 大豆プロテイン

4月の終わり頃,膝をいためました。柔術の練習がしばらくできなかったので,TRXとよばれるロープを利用したトレーニングに明け暮れ,また,体のメンテナンスに,ホエイプロテインを飲むようになりました。

ホエイプロテインとは,乳清から得られるタンパク質のことです。トレーニングとプロテイン摂取を一ヶ月ぐらい続けた結果,体重は 63 − 64キロと,少しだけ増加しました。一方,体脂肪変化はあまりなく10%をキープしています。なので,筋肉が少しついたのかも知れません。

また,体幹が鍛えられたせいか,柔術に復帰してからタップ率が少なくなったようが気がします。あと大きな方とスパーリングしても,疲れにくくなりました。TRXトレーニングとプロテインは一定の効果があったと判断しています。

しかし,ホエイプロテインは,他の乳製品と同様に,お腹がごろごろするのです。そんなにひどくはないのですが,なんとなく腹の収まりが悪い感じです。なので,体質的にあっていないのでしょう。

そこで今度は,大豆プロテインを試しています。大豆はタンパク源として普段からとっているので,僕にあいました。豆乳を飲みやすくした感じで,これなら普通に飲めそうだと思いました。

はたして,大豆パワーはどんな感じでしょうか? これも継続して,お伝えしたいと思います。

ホエイプロテイン+EMR がウリでした。だけど僕にはあわなかった

大豆プロテイン100%+マルチデキストリンで持続力アップの予感?

2013-07-08

薬学部の卒業研究発表会

先週の土曜日は,北里大学薬学部の卒業研究発表会でした。
薬学部からの卒研生として,寺嶋君,畑間さんが,細菌感染制御学研究室で研究をおこなっています。はやいもので,卒業研究をまとめる時期がきました。その一環として,体育館全体を使ってのポスター発表会があります。その光景は圧巻でした。

寺嶋君,畑間さんのどちらも,卒業研究として立派な結果を残してくれて,とても感謝しています。

卒研生には,研究の楽しさがわかってもらえれば良い,と思っています。大学院生には,研究の楽しさ + 職業人としての研究者はどんなものか?を知ってほしいです。基本,楽しくです。

一方,博士課程はガラリとかわって,本当に研究者として生きていく覚悟があるヒトだけが,進むべきだと思っています。その先は厳しいですが,プロの研究者と同じように,自分が道の先端に立っているという高揚感を味わうことが可能です。生きのびることは容易ではありませんが,やりがいはあります。

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薬学部の学生さんは,8月から国試にむけての本格的なスタートになります。過去問とかみましたが,その量がハンパなかったです。僕も薬学出身で国家試験を過去に受けたことがあります。まあしかし,当時の指導教官に,修士にいきたいのだったら国家試験の勉強は,2週間ぐらいでなんとかなるだろう,と言われたのを今でも覚えています。試験勉強をするという名目で,ラボを離れ少しは遊びたかったのですが,ほんとうにきつかったです。なので卒研生,修士の学生さんは,もっと楽しんで研究をしてほしいです。そう思っています。

お二人とも,これからも頑張って,無事に国家試験にパスしてください。まだ,卒論提出があるけれど,とりあえずご苦労様でした!

左から,寺嶋君,あやしいオジサン,畑間さん,です。
研究指導の桑江准教授に感謝です。

薬学部からは服部先生(中央)の紹介で,僕のラボに卒研生がきております。
服部先生,ありがとうございました。