2008-09-30

無意味

大学基準協会に提出する草稿の担当部分がやっと終了しました。これからも何度も訂正を重ね,全体を仕上げていきます。研究とは無関係ですが,大学からお給料を頂いている以上,大学人としての仕事はきちんとしなければいけません。

まあ,研究からは離れていますが,無意味なようで大学の歯車としての使命は果たさなければなりません。

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10年以上も前の話。
ボルチモアのメリーランド大学に短期研修に行った時の思い出。
受け入れ先の手違いで研究者登録がされていませんでした。
IDが発行されるまでには,しばらく時間がかかるとのこと。

受け入れ先の先生が出した結論は,ボランティアの掃除人になれ,と。
そうすれば研究エリアに入ることができるのです。

ボランティアの掃除人は,ほとんどがリタイアしたじいさんやばあさんで,

バイト代の代わりにミールクーポンが渡されます。

それでお昼が食べ放題(4品ぐらいしかないのですぐに飽きましたが)。

しかし,ボランティアになるのでも,きちんと試験がありました。
用務員室みたいなところでつまらないビデオを見せられて,
それをもとに筆記試験。

試験にパスするとボランティアの赤いジャケットが渡されました。
ちょっとうれしかった。

それを着て掃除。
掃除が終わってから,やっと研究。
IDが発行されるまで,赤いジャケットのお世話になりました。

しかも,じいさん,ばあさんには,
「(ボランティアではなく)何できちんと定職につかないのだ,

おまえは!」みたいなことを言われ,

めんどくさいのでシカト。
ていうか掃除してからきちんと働くの,こっちは。

まあしかし,そういった経験を経て論文に繋がった部分もあるので,

諦めないことですね。まあ無意味ではなかった。

無意味と思えることも時が経てば,無意味でなくなる時がある。
それならば,遠い未来に,良い未来につながる

期待感は大切かもしれない。

ボルチモアでは実験もうまくいかなかったのでグレていたわけ。
プールバーで,ビリヤードしていたときに,
ただならぬ雰囲気の紳士が一緒にまぜてくれと言ってきた。

彼が帰った後,バーでたむろしていた人間が
「あいつはすごい奴なんだ」という。
「何しろ数年も捕虜生活を送っていたのだからな」と。
しかも何かの事件に巻き込まれてらしい。
この紳士は地元ではちょっとした有名人であった。

まあ,そんとき,俺は何てスケールの小さなことで,
いじいじしているのかと,思いましたよ。

一見,無意味に思えることも,

そうでないことも綿々と連なって,
ここにいることができるわけ。


しかし,それは本人にしか判らない。


感謝です。


Firefighter2

2008-09-29

Firefighter


小学校で「働く消防士さん」の絵画コンクールがあって,娘の絵が
入選しました。
消防署に展示されているので,早速,家族で見に行きました。

大胆な構図のなかにもメーター類?が画かれていたり,
子供の絵には面白い発見があります。

絵が展示されていた消防署には,
本物のヘルメット・消防服の貸し出しコーナーがあって,
早速,装着しました!

火と戦うFirefighter!
を自分なりに表現しました。

ま,職場では,
「火消し役」というよりは,
いらん「火付け役」として
貢献?していますが。。。

*****

それから,有栖川公園近くのNational Azabu 脇にある
31でアイスを食べにいきました(私は食べませんが)。
もうそろそろ,柿がなる季節なのですね。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる

そんな感じ。


P.S. 堀口さん,ありがとう。
ヘルメットきちんとつけてね。

2008-09-27

メキシコ通信



本日は,家族で広尾のメキシコ料理店「サルシータ」で食事をしました。
サルシータのナチョスはトッピングも絶妙です。

あ,ズッキーニのプディングは取り分けようとしたときに
写真を取らねばと思い,このようなかたちに。。。

あとは食べるのに専念してしまい,写真をとる余裕がありませんでした。
サラダも新鮮,南米独特のチョコレートで煮込んだ鶏料理もおいしかった。

カイピリーニャで乾杯したあとアネホを楽しみました。
本日もサルシータは良かった!

******

ずいぶん前にメキシコに行ったことがありあます。

結構,気さくに話しかけれます。
東南アジアでは気さくに話しかけられ,
気がついたら,物売りだったのか,
という思いを何度もしたので,
適当に無視していたら,
「どうしてそんなに話を聞かないのだ」
と逆切れされ,物売りではなく,
ただの親切なおっさんでした。

それからはそのへんのおっさんとも
気軽に話すようになりました。

そのおっさんがいうには,
「日本人はすごい」というのです。
「だって英語も話せないのに旅行しているだろ」と。

うちのおふくろもカナダにきたときに,
スーパーの店員さんに,
「ちいさいビニール,6つ下さい」と,
普通に日本語で話しかけているのを聞いたときには,
さすがに絶句しました。
しかし,何と,通じるんですね。
あまりに普通に話しかけられると,
たがいのテレパシーが通じるのでしょう。

外国の友人がきたときに,普通に日本語で話しかけて,
「今なんて言ったのか,当てて」とからかう時があります。
面白いので皆さんもどうぞ。
話に熱中すると日本語と外国語が混ざってしまうのが,
私のクセですが。

ということでサルシータのマスターも
メキシコに流れ着いて,絶妙な料理を獲得して,
こうやって私が食べることができるわけです。

言葉も重要ですが,相手に意思を伝える,
熱さ,情熱だと思います。

枯れ木パート2

そろそろ,科研費のシーズンに突入です。

北里大学の事業報告書を見ると,
http://www.kitasato.ac.jp/houjin/jigyoukeikaku/

本大学の科研費の申請率が毎年,落ち続けています。

62.7%(H15)

53.6%(H16)

54.9%(H17)

51.7%(H18)

48.0%(H19)


これでは大学全体の研究のモティベーションが年ごとに下がっていると
解釈されてもしょうがないですね。

結局は出さなくても何とかなる,という甘い体質に慣れきってしまって
いるのでしょう。
もしも大学が潰れたら,他大学にアプライするときに,
科研費取ってないで,どう評価してもらうと思っているのでしょうか。
潰れないにしても,学府は任期制でばっさり切られることもあるので,
緊張感は必要です。

どうせ通らないと思っているスタッフも枯れ木となって,
大学に貢献して欲しいですね。

ていうか学生に「研究やっている,と言えるのか?」
初めから勝負にでないで,研究者だ!と吠えても,
こわくもなんともないですよね。

まあ出していない研究者のほうが多いので,

多勢に無勢ですが。。。。。。。。。。。

2008-09-24

おんせん ふたりでいく。。。


ということで,妻と娘はふたりで

娘のカレンダーにはきちんと,「二人マーク」がついていました。
あれ,確か,小学校あるのですが。。。
引き算できなくて大丈夫か? ま,プラスの人生,歩いてくれ。

ということで,こっちは独身モード。

昨日は洗濯後,部屋の掃除をしてから,駄犬と散歩。

そのあと有栖川公園までランニング。

階段を利用してウサギ跳び。

シャワーを浴びてから,夕食。


夕食はダイエット中なので,大豆プロテイン,バナナ,ごはんのみを少々。
さすがに味気ない。

夜はDREAM.6に出た同ジムの山本篤さんを応援。強かった。

本日の夕食はラボでコンビニ焼きそば,おにぎり一つの夕食。

んー,ちょっとカロリー取りすぎか。

人間の燃費の良さを改めて実感。。。


味気ないぐらいシンプルな生活。

まあ,たまには良いかも。


2008-09-23

項羽と劉邦



先日の話。
あわじに行くまでの長い道のりを,どんな本を読んで過ごすべきか。
新幹線の発車時刻の1時間ぐらい前に品川駅に着き,面白そうな本を物色。
新刊本も好きだが,どれもこれもピンとこなかった。
普段は歴史小説のたぐいは読まないが,
司馬遼太郎のコーナーにて「項羽と劉邦」を発見。

「虞や虞やなんじをいかんせん」は,あまりにも有名なセリフだ。

しかし項羽と劉邦のどっちが言ったのかも全く思い出せなかった。

高校の漢文の授業でこの一節を学んだが,何しろ30年以上前の話である。

「項羽と劉邦」,ストーリーは読んでからのお楽しみにということで。

ちなみに,夏目漱石の「虞美人草」も面白い結末となっています。

新刊本で一番売れている小説も面白いですが,
長い年月を経て生き残った小説は,それなりの価値があります。

ノルウエーの森が映画化されるそうですが,
ワタナベ君の友人の永沢さんも,長い年月にさらされた小説のみが
読む価値があるみたいなことを言っていたと思います。

電車のなかといえば文庫本をひろげている
人がたくさんいましたが,今はケータイ。

日本人の読解力,さがっているんじゃないのかな。

多読していないと,情報のインプット速度が遅くなると思うのです。

実は私がそうでした。
26歳のときに村上春樹の「風の歌を聴け」に出会いましたが,

最初は,何が書いてあるのかさっぱり判りませんでした。
今なら電車のなかで楽しみながら一気に読める内容ですが,
当時は2週間ぐらいかかったような感じがします。

「項羽と劉邦」は地図がついています。これもマニアック。
最初は彼らがどこをどう移動しているのか把握するまでに,

時間がかかりましたが,おおよその場所がインプットされてからは,

あっという間でした。

こんがらがりの極致はガルシア・マルケス「百年の孤独」でしょうか。 
登場人物の名前がどれも似ているので,すごく混乱します。
しかしスペイン系の人たちは,自分の子供が産まれると,
同じ名前にするのでしょうがない?
例えばホセに男の子が生まれるとホセ。いいなあ。
このへんがラテン文学に独特の味付けをしているのかもしれません。

お小遣いがもっとあったら,もっともっとたくさん本を読むと思う。
ロバート・B・パーカーの本も,ハードカバーでばんばん買ってしまう。

あと,柔術関連の本もたくさん買ってしまうかも。
柔術関連・グラップリング関連の本は意外にも海外のほうが充実しているのです。
これに手を出してしまうと大変な出費になります。
既に解説書だけでもトータル数万円は費やしていますので。。。


ということで,秋の夜長の定番は,読書と総合格闘?です。


さあて,洗濯機が止まったので乾かしまーす。


それから,駄犬と散歩です。



2008-09-22

9月になれば

大学院入試の季節です。
今年は分子細菌学専攻を受ける学生がゼロでした。
オープンラボの説明会でも,「うちのラボは厳しい」
と公言しているのもゼロに繋がる方程式なのでしょう。

まあ,しょうがないですね。
次の大波に期待です。

******

いままでずっと,レスリング系の
練習を避けていました。

しかし,娘のキッズレスリングで,
「頭じゃなくて,胸から当たっていけ」
と叫んでも,現実味がないので,
柔術だけではなくレスリングのクラスにも
通うようになりました。

眼から鱗でした。

タックルは奥が深いです。
その奥深さを山本徳郁選手に
基礎から指導を受けました。

相手との距離
相手を崩す
胸で当たる(面をつくる)
足はコンパスを描くように

理論と実践の繰り返し。

山本選手の強さは
レスリングの基礎の上にあると実感。

いやしかし,週末,体全体がだるいです。

2008-09-19

教育とは旅

1つ言いたいのは,
教養のある,教育のある人とは,
どういう人かということだ。
本当に教養が身につけば,「私は教養がある」
とは言わなくなる。

ある点を過ぎると,
本当に世界のことを何も知らない,
これから学ぶことが多すぎると,
分かってくる。

そして,その一点を過ぎると,
教育のある人は生涯学習者になる。

ここまできたら教育終わり,
はい教養人というわけではない。

教育とは 1つの旅のようなものだ。

アラン・ケイ

2008-09-16

お金をかけて,精神的な弱さを強化する?

娘のレスリングの続き。

地下鉄で転んで,2日後に歯が抜けました(笑)。
しかし,すぐ次の歯が待機してました。

*****

子供のレスリングですから,毎回,誰かは泣いている訳です。
どこかをぶつけたとか,誰かが強く押したとか,たたいたとか,
まあいろいろな理由で普通に泣いている訳です。

しかし理解できないのは,いつまでもいじけて
泣いている子供を,叱らない親がいることです。
(低学年では親が付き添っています)

「泣けば,許してもらえる」
「泣けば,リセットできる」
という行為をわざわざ月謝払って,
強化しているようなものです。

******

最近の親はよくわからんので,よく知っているジム生の話題。

「第15回全日本アマチュア修斗選手権大会」にて,
稲垣君(フェザー級)と矢地君(ライト級)が,見事,優勝。
二人ともプロ昇格。
怪我に注意をして,ゆっくり強くなってほしいです。
「練習は不可能を可能にす」を体現した二人。

これからも,スパーリングお願い致します。

2008-09-14

気合いだー!

娘と私は同じジムに所属している。
きっかけはレスリングの体験入門で,練習に取り入れている鬼ごっ
こや大きなボール遊びが気に入ったらしい。キッズレスリングは体
全体を使うので,また,他の大人に厳しく躾けられるのも良いかな
と思い一緒のジムに通うようになった。娘的には鬼ごっこかなにか
の延長で今の練習を楽しんでいるようだ。

昨日は久々に練習についていった。ところが地下鉄の階段で娘が足
を滑らして転がり落ちた。頭部を保護しながらきちんと受け身をと
れていたので安心した。しかし,以前からぐらぐらだった前歯(ま
だ乳歯)を階段にぶつけたみたいで,少し出血してしまった。練習
すれば治るから大丈夫だと,何とか説得させて,というよりは騙し
てジムへ急いだ。

準備体操,基本動作の練習では歯が痛いのを忘れていたが,スパー
リングで相手にタックルしたときに歯が痛かったらしく泣いてし
まった。スパーリング相手の男の子が心配そうに「僕のタックルで
泣いたの」と私に聞いてきた。「タックルじゃなくて,地下鉄の階
段で転んで歯が痛いみたい」と私が返事をすると「なんだあ,僕の
タックルがすごくて,泣いたと思ったよ」と明るい返事が返ってきた。

娘には「ここで頑張ったらアイスを食べにいこう」と説得した。泣
きながらマットに戻り,次のスパーリング相手と対戦。レスリング
の成績を目指すのではなく,今はともかくも泣きながらでもいいか
ら,腐らずに前進する根性を養えれば良いと思っています。

練習が終わった後,「今日はすごく疲れた」と言いながらカロリー
メートを食べる娘であったが,これからの子供たちに必要なのは,
やっぱ根性だと思いました。あと,素直に前進していく気持ちですね。

2008-09-13

Awaji report 2

淡路フォーラムの翌日は北里大学でのある会議で,またまた堀口さんと一緒。会議は午後からなので,その間,永松と今後の方針について確認。確認事項の中で現在のIFについて調べようと言うことになり,IFのベスト100までプリントアウト。全部の論文を合わせると(レビューも含めて),PNASもEMBO J.も上位100までに入っていないのはちょっとショック。自分たちが過去に出した論文のIFが下がっていくのは悲しいですね。

IFについては色々な方が色々なコメントをされますが,私は基本的にIFの評価は好きですね。小さなラボが大きなラボに対抗するには,数よりもIFでひっくり返すしかないですからね。5年の任期制だとスタッフ数がもろに影響しますから,小さな大学でも生きていくのは大変です。

ということで話が繋がりませんが,若い研究者はどんどん外に出て活躍して,PIになってほしいです。今回の淡路でも永松は招待演者のHultgren教授に自分は今何をしているのか,きちんと売り込んでいたし,食事をしている招待演者を同じテーブルに誘ったりと,永松は忙しく人脈拡張中です(笑)。

偶然にもHultgren教授は私の友人のアグニータ(カロリンスカ研究所)を良く知っており,世界は狭いと実感しました。今回は若手の質問も多く,また以前よりも活発に交流の環が拡がっていきつつあるのを実感致しました。

自給自足の夕食?も,楽しかったです。
(詳細は堀口さんのブログにて)
楽しいなりにもそこは国際学会。海外の招待演者も交えて,夜は更けて行きました。

皆で強くなっていこう。そして日本の若手研究者は確実に進化しています。


2008-09-12

実践とは餌である相手を仕留め喰らうこと by バキ

ということで,永松と俺はある論文を仕留め,喰らおうとしたが,
逆に喰われてしまった。
ま,端的にいうとあえなくリジェクト。

しょうがないっすね。
結果は結果として受け止め,前進しなければなりません。

リジェクトのメールを受け取ったときには,あわじから帰ってきた直後でもあり,

「あああ,めんどくせー」

という気持ちがどっと押し寄せてきましたが,
眠れない一晩を過ごした後は,すっきりしました。

******

あわじでの永松の英語口頭発表はすごくよかったし,
すぐにでも留学できる。将来が楽しみ。

リジェクトされても,そこまで頑張ってきた努力はゼロにはならないし,
次の論文の糧となる。失うものは何もない。
ていうか,失っていない。

リジェクトされても前進していく強さを養ってほしいです。

むしろそれが当たり前の環境。

落ちるか,獲るか,

どちらかなら,最後に,どちらかを取るまでです。

2008-09-08

Awaji



本日、トレーニングコースが終了いたしました。
他領域の若手の質問があったので、嬉しかったですね。
細菌の分泌機構について、
ベーシックなことを理解していただけたなら、
それで成功だと思っています。
最初の部分、イントロがすごく苦労しました
(専門用語を使わないこと)が、
あとは何とか繋がったと思います。
私のほうも英語のプレゼンの勉強になりました。

また、最近の若い人、英語がすごいできるなと感心しました。
うちの学生さんにもこのような機会を与えなければと思いました。

ということで、私のほうは福島なまりの英語でなんとか終了することができました。
関係ない話ですが北方系のスェーデン人とか、
あれも福島なまりですよね(笑)。

レセプションが終わったら急に眠たくなったので撤収します。
そしてまた明日から頑張ります。

後記:
写真1:ホテルからの眺め
写真2:スナップショット

2008-09-03

道程

疲れたときには「道程」原文。これしかないっしょ。
以前も載せたけど,もう一回載せます。

「俄に眼前にあるものは光りを放射し,空も地面も沸く様に動き出した」
とありますが,私は此処まで自分の追い込んだことはないですね。
また,無理に追い込んでも簡単に行き着ける境地ではないのですが,
絶対零度の意識の深淵まで触れてから,
そこから改めて自分を取り巻く世界を見たのかも知れませんね,
光太郎は。。。

映画のマトリックスは,この「道程」を端的に表している感じがします。


=============

どこかに通じてゐる大道を僕は歩いてゐるのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる
何という曲がりくねり
迷ひまよつた道だらう
自堕落に消え滅びかけたあの道
絶望に閉ぢ込められたあの道
幼い苦悩にもみつぶされたあの道
ふり返つてみると
自分の道は戦慄に値ひする
四離滅裂な
又むざんな此の光景を見て
誰がこれを
生命の道と信ずるだらう
それだのに
やつぱり此が生命に導く道だつた
そして僕は此処まで来てしまつた
此のさんたんたる自分の道を見て
僕は自然の廣大ないつくしみに涙を流すのだ
あのやくざに見えた道の中から
生命の意味をはつきり見せてくれたのは自然だ
僕を引き廻しては眼をはぢき
もう此処と思ふところで
さめよ、さめよと叫んだのは自然だ
これこそ厳格な父の愛だ
子供になり切つたありがたさを僕はしみじみと思つた
どんな時にも自然の手を離さなかつた僕は
たうとう自分をつかまへたのだ
恰度その時事態は一変した
俄かに眼前にあるものは光りを放射し
空も地面も沸く様に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした
そして其の氣魄が宇宙に充ちみちた
驚いてゐる僕の魂は
いきなり「歩け」といふ声につらぬかれた
僕は武者ぶるひをした
僕は子供の使命を全身に感じた
子供の使命!
僕の肩は重くなった
そして僕はもうたよる手が無くなつた
無意識にたよってゐた手が無くなつた
ただ此の宇宙に充ちみちてゐる父を信じて
自分の全身をなげうつのだ
僕ははじめ一歩も歩けない事を経験した
かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つのところに立ちつくして居た
僕は心を集めて父の胸にふれた
すると
僕の足はひとりでに動き出した
不思議に僕は或る自憑の境を得た
僕はどう行かうとも思はない
どの道をとらうとも思はない
僕の前には廣漠とした岩畳な一面の風景がひろがつてゐる
その間に花が咲き水が流れてゐる
石があり絶壁がある
それがみないきいきとしてゐる
僕はただあの不思議な自憑の督促のまま歩いてゆく
しかし四方は氣味の悪い程静かだ
恐ろしい世界の果へ行つてしまふのかと思ふ時もある
寂しさはつんぼのやうに苦しいものだ
僕は其の時又父にいのる
父は其の風景の間に僅しながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を
僕に見せてくれる
同属を喜ぶ人間の性に僕はふるへ立つ
声をあげて祝福を伝へる
そしてあの永遠の地平線を前にして胸のすく程深い呼吸をするのだ
僕の眼が開けるに従って
四方の風景は其の部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に小さい人間のうぢやうぢや匍いまわつて居るの
も見える
彼等も僕も
大きな人類といふものの一部分だ
しかし人間は無駄なものを棄て腐らしても惜しまない
人間は鮭の卵だ
千万人の中で百人も残れば
人類は永久に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類の為め人間を沢山つくるのだ
腐るものは腐れ
自然に背いたものはみな腐る
僕は今のところ彼等にかまつてゐられない
もっと此の風景に育まれて
自分を自分らしく伸ばさねばならぬ
子供は父のいつくしみに報いたい氣を燃やしてゐるのだ
ああ
人類の道程は遠い
そして其の大道はない
自然は子供達が全身の力で拓いて行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出て来ても乗り越して歩け
この光り輝やく風景の中に踏み込んでゆけ
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ父よ
僕を一人立ちにさせた父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の氣魄を僕に充たせよ
この遠い道程の為め