いつもきちんと観るのは情熱大陸。今回も5−6本まとめどりしたものを一気に解析し,異分野で活躍している人々が,何に突き動かされて,その領域にのめり込んでいったのか,そこを探る。
俺なりに分析すると,一流と言われているヒトの共通項として,良い意味,他人の意見を聞かないということがあげられる。他人の意見には謙虚であるかもしれんが,あつい人たちは,基本的に自分の信念を貫き通す。
ま,「人の意見を聞かない」の分だけプレッシャーもすごい。失敗したら「他人の意見を聞かないからだよ。馬鹿者が」と言われるのがオチである。
まあでも馬鹿でも良いじゃないかというのが,俺の意見。日本人の基質として,長い間,洗脳?されてきた基質として,他人と協調性をはかるというクセがある。また他人に何か言われると,「すごく気にしてしまう」のも日本人の悪いクセであると思う。
例えば「そんな実験つづけても,ちょっと方向性としては,どうかな」という意見を言ったとする。軽くハイわかりましたと受け流しておいて,密かに自分の信念のままに研究を続ける方向性もアリだと思う。まあ,しかしそれで結果がでなかったら,「ああ,やっぱり」と言われますが。。。ばれたらね(笑)。研究者ならそのリスクを別なプロジェクトで補完することも可能であるし,いくらでもやりようがありますね。
ということで,自分なりに「身震いがする」ような研究にまで,各自のやりたいことを昇華して欲しいですね。やりたいことをやって自分で責任を取る。基本,他人にどういわれようが極める。
「俺はおまえのプロジェクトが嫌いだね」
といわれても,
「まあ,もちろん俺はおまえじゃないからな」
ぐらいの気持ちで頑張って欲しいです。勝手な結論として,自分のやりたいことを,とことん極めて他人のルールではなく,自分のルールで,やりたいことを如何に展開できるのか,また,自分が嬉々としてやり遂げたいという純粋なエネルギーを発散させて研究に生きて欲しいですね。あ,研究じゃなく人生ね。ヒトのじゃなく自分のね。そこんところヨロシク。
道の先端にいつでも立っていること。
以上,情熱大陸の結果でした。
ということで,「月曜の夜,柔術をやる予定なのでご都合よろしかったら衣をご持参の上お越しください」とピッチに挑戦状が届いていますので,もちろん,受けて立つしかないでしょう。これから虎になります(笑)。
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結局,他人の評価で生きるのか,自分の評価で生きるのか,どちらかだと思います。しかし,本来,他人の評価なんてものはありません。他人は自分をこう評価しているだろうという自分の思い込みがあるだけです。しかし忙しかったり,へこんでいたりすると,他人の評価と言う妄想にやられてしまうことがありますね。そういったときには自分の軸が試されているのでしょう。
ひとつひとつ自分の力で前進していく力を信じて,生きていくのか,
はたまた,他人の評価と思っている部分で,
自分の自信をなくして生きていくのか,
どちらの選択も自由であること。それならどちらを取るのか?