もしかして,誰かに嫌われているのでしょうか?
もしかして,あの人,いや,あの人か(笑)。
おかげさまで,無事に済みました。
もう少し嫌われ慣れすれば,いいところまでいくのです。まだまだです。
本当は適当に他人に好かれるよりは,きちんと正直に生きてそれで嫌われれば,しょうがないと受け止め,自分らしい生き方をするほうが良いと思うのですが,まあそこまで,でかい生き方ができません。しかし,努力はしていこうと思います。
何で,ヒトは他人に好かれていないと,不安になってしまうの?
と妻に聞きました。
ここからは,妻の回答です(原文記載)。
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履歴書のように,他人からの評価が「自分の価値」を表すと思い込んでいるから。
全ての肩書き,年収,キャリア,資格,
しいては,年齢,見た目,健康状態,
すべてとっぱらった時に「私は何をして,何を見て,どんな心持ちでいると平和で安らぐのか」を内観しないまま日常に流されていると,自分がどんな世界(雰囲気 価値観)を望んでいるか忘れてしまう。
だから,他人に自分の視線を転嫁して,居場所を確定しようとする。本当に他人がどうみてくれているかなんて「証拠」は絶対に見つからない。探せば探すほど不安は増す。
世界,社会,日常,の何処に自分の内なる周波数を合わせて生きてゆくのか,を断片的にでも感じられれば,他人が自分をどう思っているかはさほど気にならなくなり,ビジョンが明確になるほど,不安は気にならなくなってくる。
東京から銀座へ行こうと決める。
おそらく5秒で,出かける準備,出発時間のめやすが立つ。
それほど考え込まない。
銀座へいくまでに,危険人物に襲われたりするかもしれないから,
武装してゆこうとか。
交通事故に遭うかもしれないから,ヘルメットをかぶって行こうとか。
大抵は思わない。
自分が今立っている場所にいる。
生きたい世界のビジョンが決まる。
同じ感覚になれれば,他人が下す評価は「気づき」になることは
あっても,不安材料になることはない。
万人に好かれようと取り繕って偽ってがんばっていても,どのみち「あんた嫌い」と言う人は必ずいる。
なら,素の自分を知り,正直にまっすぐに生きてみたほうが解り易 いと思う。
そんなかんじ。