2011-10-10

Xtremeな休日

IUMS 2011が終わってすぐに関東支部総会の準備がはじまり,駆け足で9月が過ぎた。支部総会は盛会のうちに終了し,それなりの成果を残すことができたと思う。総会は金曜日に終わり,領収書を整理し,自宅にむかう長野新幹線のなかで久々にSUM関数を使い,一息つくと上田駅。自宅について夕飯をそそくさとすませる。時計をみるともう11時。シャワーを浴びて眠りについた。

万全な体調など存在しない。

僕はスタート地点でカウントダウンを聞いていた。スタート30秒前にiPhoneを起動し,カウントがゼロになったときに,Runmeterのボタンをおした。GPSがハーフマラソンのコースを辿ってくれるはずだ。初めてのハーフマラソン出場であったが,ここ1ヶ月,ほとんど運動をしていないので体が重かった。今回は走り切ることが目標であったので,5分30秒/キロのペースを保つように心がけた。多くのランナーが僕を追い越していった。折り返し地点まで,ひたすら我慢することにした。

古戦場ハーフマラソンは上田市で開かれるマラソン大会で,前々から小学生のチビと一緒に出場することをきめていた。大会1ヶ月ぐらい前から,チビと調整する予定でいたが,折り合いがつかずに大会をむかえた。マラソンコースは県営野球場からスタートし,青木村方面に至る夫神神社が,折り返し地点である。折り返し地点までペースを保てたが,後半は右膝が不調であった。思うように蹴り出しができずに,ちょっとした坂道でも下半身が重く感じられた。それでも残り8キロぐらいになると,いつも楽に走っている距離だからと自分に言い聞かせ,ペースを取り戻すべく走り続けた。しかし膝の痛みが徐々に悪化していき,「歩かないこと」に目標を変えた。ゴールではラストスパートをきめたかったが,のろのろとゴールラインを通過した。ゼッケン裏に取り付けられたICチップを検出器がとらえ,完走証明書にタイムと名前が自動的に記入される。チビが走り寄って来て,「お父さん,何位だった?」と聞いてきた。僕は証明書をみせた。「お父さん,すっごく,遅いね」となじられた。チビは小学生高学年の女子の部(3キロ)で20位以内に入る快挙であった。僕は661人のランナーのなかで半分ぐらいの成績(262位)で,トップ10%のチビの成績と比べると,あまりに凡庸すぎた。次回は2時間をきる成績を残したい。

家族で野球場をあとにして,柳町の「おお西」で蕎麦を食べてから自宅についた。休息してから,頼んでおいた自転車を受け取りに行った。本来ならば万全な体調で新車アンカー C9を受け取りたかったが,ここでも万全な体調など存在しない。C9はアルミフレームの自転車に囲まれ華奢にも見えるが,クロモリフレームの美しさがそこにはあった。自転車を受け取って,颯爽と走り去りたかったが,右膝に激痛がはしった。お店の方が不安そうに見守るなか,よろよろとスポーツサイクル専門店「ベリーニョ」をあとにした。

翌日は車山を散策した。すすきが黄金色に輝いて眩しかった。山小屋「コロボックル」でおいしいコーヒーを頂いたあと,霧ヶ峰の駐車場わきで,フラットトップの髪型のあんちゃんから,焼きトウモロコシを買って,一気に食べた。自宅に戻って,届いたばかりの「アンカーC9 ベリーニョ号」に乗って,昨日のマラソンコースを走った。右膝は思ったほど痛くはなかった。緩やかな下り坂で聞こえてくる風の音に,20年以上前の自転車競技を思い出した。ハーフマラソンのコースを,楽勝で駆け抜けた。ちょっとだけ,昨日のリベンジを果たした気分になった。

万全な体調など存在しない。

しかし50を過ぎた今,挑戦し続けることが,メインテーマとなりつつある。
どんな優秀なアスリートでも,最後は記録を抜かれるのだから。



しんどかったハーフマラソン

ランチに立ち寄った柳町

おお西の蕎麦

コロボックルから見た車山周辺

山小屋のコーヒー

長野新幹線から見た浅間山

MacBook AirとWiMax。新幹線のテーブルにぴたりと収まる。