2009-03-16

エフェクター = はやりの研究

本日,有給です!
細菌学会で疲れているのかって? 現在,日本細菌学会誌の電子化を行っているのですが,白金の北里図書館に午後からこもりっきりになります。ここから蔵書を運び出して業者の方がスキャンしてPDF化して,オンラインになって晴れて日の目を見ることになります。本日は,大学の業務ができないので,あまり余った有給を消化しています。まあ,なにやっているんだろうなという気持ちはありますね。薄暗い図書館で。。。

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唐突ですが,私がエフェクター研究を始めたきっかけをお話ししたいと思います。
1990年の初め頃,サルモネラの転写制御の研究を行っていたのですが,病原因子を分子レベルで研究したいという想いがありました。どうせなら宿主側因子の解析を含めて研究をしたいと思っておりました。

心機一転してサルモネラと宿主側因子の研究をするために,1995年にカナダに留学しました。ところがボスに,サルモネラの研究はたくさんやっているから,腸管病原性大腸菌の研究をしろと言われ,ハイと答え「ハイは日本ではイエスと言うんだよな」と念押しされ(今でも日本語でさりげなく外国人に話してしまうクセがあります。。),腸管病原性大腸菌ってなんだ?ということになりました。そんでもって,in vivoの感染実験系を立ち上げろと。一人じゃ無理といったら,ボルチモアで習ってこいと言われ,「ていうか,もっと誰かに細胞の感染実験とか習いたいのになー」と思いつつ,どんどん人生の軌道から外れていく感じがしました。

腸管病原性大腸菌のin vivo感染系を確立することが,留学先での初めての実験でした。ところが,当時さかんに使用されているRDEC-1は何故か病原性がなくなっており(ま,SPFのウサギが腸管病原性大腸菌に汚染されていたということもあります),フランスのグループは菌株を送ってくれなかったので,菌株探しから始まって,最終的にIII型分泌装置の機能は,病原性に関与することを明らかにしました(正確にはEspAとEspBの2つの分子がです)。私の留学期間中に他のポスドクがTirを発見して,ボスの名も一躍有名になり,現在のエフェクター研究が始まりだしたのです。

1999年に日本に帰国して,北里研究所に戻ってきて,腸管病原性大腸菌はワクチンにならないということで,百日咳ワクチン関連の研究も行うことを確約し,今の桑江君のBopCの発見があるわけです。北里研究所でこのような研究が擁護されていたかとそうでもなく,ほそぼそと研究が進みました。この研究にしても当時,百日咳菌ではIII型分泌装置が機能していないという説があったのですが,それでも研究を進めていたのです。現在ではエフェクターはボルデテラ属細菌の定着に関与するデータが蓄積されつつあります。現在,その研究を永松がやってます(まだ,論文にはなってませんが)。

ここではっきりさせたいのは,我々のグループが,腸管出血性大腸菌のアウトブレークがあったから,とか,百日咳菌の集団感染があったから,「その時流にのって両方の研究を始めたのではない」ということです。

腸管出血性大腸菌による集団食中毒のアウトブレークは1996年ですし,腸管病原性大腸菌の研究を私が開始したのは1995年で,それも私の当初の意志ではありません。腸管病原性大腸菌のわけのわからないin vivoの研究なんか誰も留学時代に立ち上げたくなかったから(時間がかかるし,うまくいくかどうかわからない),私がやることになったのです。当時はノーと言えないタイプだったので。百日咳菌の研究にしても北里研究所がワクチンに関連している病原細菌を扱いなさいと言ってきたので,研究を始めたのです。もちろんやっていける自信はあったのですが,二つの細菌を選んだのは自発的ではなかったのです。かっこ悪くてごめんなさい。ですから時流にのってエフェクター研究を始めたわけではありません。

エフェクター = はやりの研究と誤解される方がいますので,はっきりさせますが,二つの菌の研究も向こうから,私の本来の方向性とは別なところからやってきたものなのです。

まあ流行の研究でも何でも良いのですが,結構,面倒臭いので,答えるのが。。。

そこんところ,よろしくです。

まあそれでもついてきてくれるスタッフ・学生さんがいて幸せです。