2015-01-12

もっとおおらかなときが流れていた

しばらくブログの更新が滞ってしまいました。昨年は羊土社さんから2冊の本を上梓し,やりきった感がありました。

そして,現在,論文を書いています。「ライフハックで雑用上等」で,論文に関するノウハウを紹介しましたが,論文を書くとういう行為は,いつも産みの苦しみがありますね。だからこそ,アクセプトされたときには嬉しさもひとしおです。

今日は,朝10時からブラジリアン柔術の道場で汗を流したあと,洗濯機を回してから,ラボにきました。僕は基本,日曜・祝日も短時間ラボにくるのが日課となっています。それが今のリズムになっています。

修士2年の前田さんは,もうすぐ修論提出なので,正月休みもほとんどなく,そしてこの連休も毎日実験と修論に追われています。ぎりぎりまで頑張って,自分の納得したかたちで,ここから飛び立ってほしいです。また,卒研生の山根さんは,もうすぐ薬剤師国家試験です。静かなフロアで黙々と勉強しているのが印象的でした。

僕の修士時代は修論が手書きの時代で,「ここを修正しないさい」と言われると,ほんとげんなりしてしまいました。まあしかし指導教官もこっちの苦労を判っているので,最後のほうは,まあいいかで修論訂正のOKをもらった記憶があります。

今は直前まで修正がきくので,それはそれで大変だと思います。

昨日,映画「ノルウエイの森」を観て思ったのですが,僕らの時代は「もっとおおらかなときが流れていたな」と。。。

たとえばラブレターを送るにしても,書くのに2日ぐらいかかったりしました。そして,相手の返信が来るのを郵便箱を何度ものぞいて,今日は来ているかと,ハラハラしながら待ち侘びていました。高校1年時に,はげしく待ち焦がれたラブレターの返事は,「もうおつきあいは,やめましょう」でした。

今ならLINEで,「超〜納得いかないんだけど,なんで別れるの?」とか速射できますよね。それが手紙だとできないのです。待ち焦がれて,「終わりましょう」という文面を見た途端,もう一度,手紙を書いてやりなおそう! とかの体力が残っていないのです。

手紙ひとつとっても,相手の意向を聞き出すまでに,何日もかかったのです。

そして,大学に入っても依然として,おおらかなときが流れていました。僕は薬学部なので,他学部と比べると実習が多かったけれど,それでも緩やかでした。

今はインターネットが全世界に広がり,メール,チャット,SNS が当たり前となって,すぐにレスポンスがくる時代です。僕の学生時代のように,「ただひたすら暇」という時間がないのも,気の毒な感じもします。また,以前なら実験がトラブったときに,まず学生同士でディスカッションしてから,指導教官に教えを乞うという流れでした。今なら,Google先生に質問することで,問題が解決したりします。

僕らの時代は,大いなる時間の無駄のなかで,学生時代を謳歌したように思います。また,ひたすら何かを待ち続ける忍耐力もあったような気がします。高校を出て,さらに4年間も学び続けることで,僕が手にしたものは,ほんの一握りの知識です。

それよりも,4年間という時間のなかで友人と大いに語らい,大人(指導教官)との付き合いを通して社会というものを学び,持て余した時間のなかで,漱石や太宰治の全集を読んだりしました。

おだやかな時間の流れのなかで,生きていく上での取捨選択,行動における規範というものを,学んだような気がします。何かを深化して考えるためには,今の時代はあまりに性急すぎる感じがします。