2013-11-28

My Book Thunderbolt Duoに交換!

これまで,ラ◯ーのハードディスクを使用してきました。アルミの削り出し筐体は,Macminiによくあいました。

しかーし,このハードディスクは排気音が,とてもうるさいのです。また,タイムマシンが稼働していないときでも,頻繁にハードディスクにアクセスする癖があります。

ということで,My Book Thunderbolt Duoというレイド対応のハードディスクに乗り換えました。

My Bookというよりは「マイ広辞苑」といったほうがふさわしいデザインです。しかしその無骨さとは裏腹に,スペック的には大満足でした。

サンダーボルト対応でタイムマシーンが起動していても,ほとんど起動音がしません。耳を近づけて,ようやく起動音が聞き取れる静粛性です。ハードディスクも自前で交換が可能ですので,セキュリティー的にも安心です。

僕がコンピューターを使いはじめた1990年代は,Quantumのハードディスクが最高で,ウエスタンデジタルはどちらかというと,パッとしないメーカーでした。そういったこともあり,今まで使用してこなかったのだと思います。

 これからは

「マイ広辞苑」

に,頑張ってもらいます。

デザイン的にはHAL 9000

マイ広辞苑な感じ

サンダーボルト対応です。

2013-11-24

モノを書く環境と観葉植物

気がつけば,2013年もそろそろ終わりに近づいておりますね。
今年はどういった進歩があったのだろうと思うと,心拍数がはやくなったりします。それでも,まるまる2年間,書き続けてきた参考書の目処がついて,ほっとしております。

15万〜20万字の執筆作業に必要なのは,ひたすら体力だ! ということも実感しました。また,15万〜20万字の世界に耐えうるためのシステム構築も重要でした。

通常の総説なら 6000~8000字ぐらいですから,マイクロソフト・ワードでも何とかなります。しかし,これの10~20倍のスケールになると,ワードでは極端に不安定になります。さらに,論文や各種資料との関連付けもワードでは,できません。多くの資料を体系化しつつ,それでいて,安定なソフトウエアが必要でした。

そこで目をつけたのが,このブログで何度も取り上げたScrivenerという多機能エディターです。今ではこのソフトで,ほとんどの執筆・報告書・論文をすませています。これさえあれば,どんなに長い文章を書いても落ちることはありませんし,文字変換でモタモタすることもありません。全ての研究者にオススメします。

あと,大切なのは,モノを書く環境かなーと思いました。執筆中は集中したいので,Boseのノイズキャンセリングヘッドフォンを使用しています。一方,イラレで作画するときは,音楽を流しています。

*****

僕は土日もラボにきて,多くの時間をここで,過ごしています。週末の午前中は仕事がもっとも進む時間帯です。自宅からラボまで歩いて数分ですし,午前中に仕事をすませ,午後は自分の時間として,過ごしています。これが僕にとって,ストレスが一番少ないやり方です。

なので「ラボ=きちんとした職場」というよりは,自分の好きな空間として,とらえています。他人から見れば,参考書のわきにバガボンドがあったり松井冬子の画集があったりと,雑多な空間です。。。さらに,植物も他の先生方と比べると,多いほうかもしれません。

昨日,植物を買い足しました。ペペロミア・ジェイドという観葉植物です。基本的に,肉厚な葉っぱの植物が好きです。砂漠に生えているような植物もいいですね。少し落ち着いたら,砂漠にもいってみたいです。

とりとめもないので,このへんで。良い週末をお過ごしくださ〜い。

執筆の友 - ノイズキャンセリングヘッドホン。

新たに仲間入りしたペペロミア・ジェイド。ピカピカした丸い葉っぱがいい感じです。

Caepe Diemの見事なコウモリランに惹かれ購入したもの。少しずつ大きくなっています。

某先生が退官されるときに捨ててしまったラン。それを拾って 13年になります。





2013-11-23

暗いなかで魚になりましょう

感染症関連の参考書もいよいよ大詰めを迎えようとしています。2011年の暮れ頃からぽつぽつと書きためた原稿は,ようやく1冊の本としてのボリュームになりました。

「今なら,まだ止められる」

という思いが何度もよぎりましたが,ここまで辿りつけたことに感謝です。あともう少しで上梓することができます。

さてさて,この2年間,のんびりとした僕でさえ,かなりのプレッシャーを感じました。眠れない夜もありました。そこで,自分なりに安眠できる方法を解決したので,ご紹介します。

とても簡単なことです。それは,電気を消してお風呂に入るのです。

はじめから暗くすると,いろいろな不都合があるので,体を洗ったりヒゲを剃ったりしたあとに電気を消して真っ暗ななかで湯船にひたるのです。

最初は暗いのですが,徐々に薄暗いブルーの世界に包まれていきます。少し窓を開けて,風の音や車の通り過ぎる音に耳を澄ませ,呼吸を整えていきます。それから湯船に潜ります。肺の古い空気を押し出すように深呼吸をして潜水します。これをやることで,肺のなかの空気を新鮮にします。

それから,ヤカン(ネティポットと言うらしい)に暖かな塩水を入れて鼻にプスッとさします。頭を傾け鼻腔に塩水が入るようにして,洗浄します。つらそうに見えますが,あたたかい水が鼻のなかを通って,もう一方の鼻孔から,ぬらーっと出てくる感覚しかありません。なので,すごくつらそうな顔をすれば忘年会とかで使えるかもしれません。。。

閑話休題。ともかくもこれらの儀式?で,よく眠れるようになりました。

あと,僕の場合,1日のコーヒー量を2杯までときめています。これ以上飲むと眠りの質に影響します。

お風呂は,電気を消して入る! 

以上です。

2013-11-21

NEX-5R + E 35mm F1.8 OSS + メタルフード

今年の夏,新しいカメラ,NEX-5Rを購入しました。
このカメラの良い所は,APS-Cサイズで5万円という価格に尽きると思います。当初は,付属のズームレンズ,シグマ 30mm F2.8 EX DNというレンズを楽しんでいたのですが,単焦点でもう少し明るいレンズが欲しくなりました。

これがカメラ回帰熱のあぶないところです。

単焦点,単焦点,,,とうなされた日々が何日か続きました。

最終的に NOKTON classic 35mm F1.4 の路線がみえてきました。このレンズはVMマウントなのでマウントアダプターを介しNEXに取り付けることになります。しかし,このVM-E アダプターが,2万円近くすることが判明。。。レンズ価格をあわせると7万円以上の出費です。現実的ではないという結論に達しました。結局は,ソニーがNEX用に出している E 35mm F1.8 OSS というレンズに落ち着きました。

中野にあるカメラ屋さんで,今まで購入したカメラやレンズなどを下取りに出し,ほぼ同値段で,35 mm F1.8 OSSを手に入れました。ある程度の出費は覚悟していたのですが,ちょっと安心しました。

購入したレンズには花型レンズフードも付属されていました。しかし,大げさな感じがしたので,エツミのメタルフードに取り替えました。この大きさなら常時つけていても,いいかなと。それに合わせて,ハンドストラップも赤にしました。

ということで,ようやくレンズも落ち着いて,カメラ回帰熱から無事に回復しました。。。

当初はコスパのみで購入しましたが,徐々に愛着がわいてきました。

赤いフードはメリハリがありますね。

F1.8のレンズ。ボケ具合もいいです。

2013-11-20

細菌学の特別講義 目次

細菌学の特別講義

 1995年から1999年にかけて,カナダ留学で体験したことを記載しました。これから,海外留学される方の参考になれば幸いであります。また,海外で辛い留学体験をされている方にもオススメします。

 イバラの道にみえた留学も,過ぎ去ってみれば,やはり辛い思い出でした。それでも何とかここまでこれた自分がいます。二度と経験したくはありませんが,僕にとって必要な通過点だったのかも知れません。それではお楽しみ下さいませ。

第一限
第二限
第三限
第四限
第五限
第六限
第七限
第八限
第九限
第十限(最終回)

細菌学の特別講義 (最終回)

15. スパゲッティバグとの闘い
 ベルギーからの分与株を用いてIII型分泌装置が腸管病原性大腸菌の下痢発症に関与することを明らかにしたが,この強毒株でさえも実験結果が大きくばらつくことがあった。

 ウサギが腸管病原性大腸菌に感染すると,感染後3-4日で下痢を発症する。しかしながらある種のウサギにおいては,まったく下痢を発症しなかった。腸管病原性大腸菌に抵抗性を示したウサギについて組織病理学的な解析を行った結果,腸管の表面にはびっしりと怪しげな細菌が付着していたのである。電子顕微鏡で解析してみると,その細菌はスパゲッティのような形態をしていたので,我々はスパゲッティバグとよんでいた。

 その後何度か感染実験を行い下痢を起こさなかったウサギを解剖してみると,高頻度でこの細菌が腸管上皮に観察されたので,ウサギがスパゲッティバグをもっていると腸管病原性大腸菌の感染に抵抗性を示すという結論に達した。論文としてまとめるためにはスパゲッティバグでは具合が悪いので分類の専門家に尋ねたところ,segmented filamentous bacteria (SFB)という立派な名前をもっていることが明らかとなった。

 SFBについては腸管粘膜固有層の宿主免疫系,特にIL-17を制御している細菌として非常に注目されているが,当時の我々にとってSFBの出現は悪夢であった。後の実験でSFBをもつマウスは病原性細菌の感染に対して抵抗性を示すことが再確認され,我々の出した結論は正しかったことが証明されている。しかしながら当時の私にはSFBの重要性が理解できなかったのと,何よりも病原細菌の研究に固執したかったので,別なプロジェクトに移行してしまった。SFBは培養が困難でその解析は遅れているが,やがてはプロバイオティクスの領域で応用される日が近い。

16. 留学で学んだこと
 2年の留学期間で帰国するはずであったが実験上の様々な不運が重なり,結局,私は4年間カナダに滞在することになった。しかし今のアカデミックなキャリアがあるのも留学を通してのアウトプットがあったからだと思う。

 日本と海外先進国の研究環境を比較した場合,日本が劣っていることはなく,むしろ様々な面で整備されていることに気づく。順当に業績を残したいのであれば,わざわざ留学というリスクをおかさなくても日本でやっていくことは十分可能である。

 それでは何故留学が重要なのか?というと,私は脳力の再構築にあるのだと思う。英語が通じず何をするにも多くのエネルギーと忍耐力が必要で「自分だけでは何もできない」と,無力感を痛切に感じるのも留学の醍醐味である。語学に堪能で,初めからコミュニケーションに問題がなければ,「苦労がともなわない=得るモノも少なかった留学」であったかもしれない。

 逆説的に言えば,英語はできなければできないほど留学から得られる経験は大きいと思う。これから留学を考えている若手の皆さんへの助言として,英語の勉強はほどほどにして留学することを強く勧めたい。細菌学の特別講義はこれで最後になるが,細菌の病原性発揮における精緻なメカニズムを感じ取って頂けたら,筆者として幸甚である。

2013-11-13

細菌学の特別講義 (第九限目)

14. ボルチモアからの撤退
 私はどのようにボルチモアから引き揚げたのか,今となってはその記憶も定かではない。

 ただ電車に揺られ,どこかの駅に止めてあった錆びついたコンテナ列車を眺めながら「もう二度とこの土地には来ることはない」と思ったのである。

 バンクーバー国際空港に降り立つと,久しぶりの妻が,そこにいた。空港から妻が運転する車で,四条 (4th streetにあった)という寿司屋に直行した。ボルチモア滞在の2ヶ月間,酒は浴びるほど飲んだが,日本食は一度も食べていなかった。寿司を食べながら,問題は山積しているものの,治安の悪いボルチモアから生きて帰れたことに感謝した。

 翌日,憂鬱な気持ちで教授室のドアをノックした。ボルチモア行きは1ヶ月という期間をボスから言い渡されていたが,それを振り切って2ヶ月滞在した理由をボスに説明しなければならなかった。

 決定的なのは,ボルチモアから分与を受けた菌株は,ウサギに投与しても何ら病原性を示さないことであった。ボルチモアでの2ヶ月間の実験結果は,今まで作製した変異株を全部捨てて,再度,新たな菌株で変異株を作製することを意味していた。しかしそれ以外に選択肢はなかった。これについてはボスも了承してくれて,何とか研究を継続することができた。

 問題はウサギに感染する腸管病原性大腸菌をどうやって選択するのかについてであった。文献を調べた結果,ウサギの腸管病原性大腸菌の研究は,ヨーロッパでさかんであることがわかった。私はいくつかの研究機関に手紙を送り,最終的にベルギーの研究機関から腸管病原性大腸菌を入手した。ボルチモアで習得した感染実験系を立ち上げ,ベルギーより分与された菌株の病原性を確認したところ,ウサギに下痢を惹起したのでこれを親株として変異株を作製した。

 結論から述べると私の研究はうまくいって,III型分泌装置が腸管病原性大腸菌の下痢発症に関与することを,はじめて明らかにすることができた。この研究内容を,私の領域では権威がある J. Exp. Med. に投稿することができた。

 どんな雑誌に出そうか悩んでいた時に,となりにいたドクターコースの学生が,私に向かって,

「Infect. Immun. なら大丈夫だと思う」

と,言ってきた。この雑誌もまあまあではあるが, J. Exp. Med. と比べたらインパクトファクターが低かった(注1)。この学生が,私の研究内容を過小評価していることにカチンと来て,

「Infect. Immun. なら日本にいても書ける。ここまで来て,出すようなジャーナルじゃない!」

と,啖呵を切ったことを覚えている。ともかくも,3年の苦労に見合うだけのジャーナルが欲しかった。晴れて,J. Exp. Med.に自分の論文が掲載されたときは,涙がでるぐらい嬉しかった。

しかし,J. Exp. Med. 投稿に至るまでには,于洋曲折があった。ベルギーから分与された株での実験においても,結果が大きくばらつくことがあった。

それは,スパゲティーバグと呼んでいた,ある細菌の出現であった。

(最終回へ続く)


注1:もちろんジャーナル云々ではなく内容が重要です。まあしかし,当時の私は,生意気でした。。。


2013-11-08

細菌学の特別講義 (第八限目)

13. ポスドクDの名誉のために

ここで登場するポスドクDはいい加減な奴にしかみえないと思う。

Dと一緒にクラブにいくと必ずウオッカのコーラ割りを注文していたが,彼の行動はとても大胆であった。カウンターにいる店員の前で,出された飲み物をすばやく一口すすって「もう少しウオッカを足してくれ」と言うのである。ほとんどの場合は,うまくいいった。しかし,僕に出された飲み物でもDは同じことをするので,かなり濃い目のウオッカコーラで酔ったのを思えている。

ここからは,Dの名誉のために,彼の話を少しだけしてみよう。

彼の研究に賭ける執念は私より上であったと思う。

当初,Dはボルチモアにあるビッグラボにポスドクとしてアプライするが断られてしまう。普通なら諦めるところであるが,彼はなんと隣のラボのポスドクにアプライして,ポジションを獲得したのである。

昼間はラボのメインプロジェクトをおこない,夕方からは行きたかったビッグラボの研究テーマを遂行した。彼は夜遅くまで研究をおこない,夜遅くまで飲んで,しかし誰よりもはやくラボについて,実験をした。

そのような日々が何年か続いた後,彼は大発見をして,ビッグラボのボスにもようやく認められ,念願のラボに入ることができたのである。

Dのすごいところは,ダメでも隣のラボまではいってやろうという執念である。沼地にいるような研究生活を送り,最後に,固い岩の上に立つことができたDは,すごいと思った。

現在,彼はPIとして独立ラボを構えている。ボルチモアでの研究生活は散々であったが,彼との出会いは,私の記憶のなかに強烈に焼き付いている。

2013-11-02

細菌学の特別講義 (第七限目)

11. 失敗の日々は容赦なく
 はるばるバンクーバーからボルチモアにきて感染実験を行ったが,ウサギに下痢を起こすはずであった腸管病原性大腸菌は,まったく下痢を起こすことはなく,私の実験は失敗に終わった。
 当初の研究期間は1ヶ月であったが,「実験がうまくいくまではラボへは戻らない」と,カナダのボスにメールを送ってさらに滞在することにした。
 我々が使用していた株は,ボルチモアから譲り受けたものであった。このボルチモア株がウサギに下痢を起こすという彼らの論文は,虚偽であったのだろうか。。。
 私はこのボルチモア株を親株として,III型分泌装置の欠損株を作製しており,親株に病原性がないのでは研究にならない。留学での貴重な1年が水泡に帰すことを意味していた。

12. この時点では何もわからないこと
 私はとんだ偽物をつかまされたと怒り心頭であった。
 その怒りはボルチモアでの滞在が長引くにつれて増大していった。しかし後の解析で,北米のウサギはかなりの頻度で腸管病原性大腸菌のボルチモア株(あるいは類縁株)に汚染されていることが解ったのである。ようするに,ウサギは既にこの菌株に対して免疫を獲得していたのである。さらに,Segmented filamentous bacteriaの存在が,感染実験に大きく影響した。しかし,ボルチモアにいた時点ではそのようなことを知るすべもなく,培養条件や菌数を変えたり,あらゆることを試したが全てうまくいかなかった。

13. 敗北の日々
 ジイさん連中に混じって赤いジャケットまで着たのに,何故うまくいかないのか。。。そのような憂さをはらすべく,ポスドクのDと夜ごとバーにでかけた。バーボンをビールで流し込んで,ビリヤードで遊んだ。ジュークボックスから流れる音楽は,いつもDの好きなAC/DCだった。

「あなたたちは私たちを殺す気なの?」

と,かなりきつい口調で典型的なアメリカ女性に言われたことがあった。私も彼女と同意見であったが,Dはいっこうに気にする様子もなかった。万事がこんな感じであったが,この街は危険なので遊べる場所はかなり限定されていた。
 それでも一度,フェルズポイントというところまで足をのばして,バーをハシゴした。2人ともかなり酔っ払って適当なバーに入ろうとしたところで,セキュリティーに制止された。
 はっきりとした口調で「おまえら,ここに何をしに来たのだ.....(あとは人種差別的なオンパレードが続きます)」と,怒気を含んだ声で,詰め寄られた。
 一気に酔いが醒めたが,明らかに間違った場所に行き着いたのだと思う。それでも撃たれる危険性のあるイースト地区を歩いて帰るわけにはいかなかった。寒空のなか,ようやくタクシーを捕まえて住み慣れたダウンタウンに戻った。
 腹がすいたので,そして正気を取り戻すべく,Dとハンバーガーショップに入った。Dはハンバーガーに添えられていたフライドポテトにグレイビーソースをかけようとしたが,かけたのは蜂蜜であった。

「Dよ,おまえは蜂蜜をかけているぜ」

というと

「俺は蜂蜜も好きなんだ」

と,わけのわからない答えが返ってきた。毎日がこんな感じであった。今日が何曜日であるのかもわからない。サマータイムになったのも知らない。

 どうやってこの状態からリカバリーするのか全く見えないままに,アルコールも抜けきれないまま,敗北感を抱きながらバンクーバーに戻った。