2023-12-06

人生の遅刻,結局,好きなことをすれば良い


これまで,学生さんの遅刻については厳しかったほうだと思います。

昨日から実験開始の時間は,各自に任せるようにしました。主体的に実験に取り組んでいれば良いんじゃないか,といきなりの路線変更です(笑)

ただし「人生には遅刻しないでほしい」ということも伝えました。

僕の例で言えば,3年ほど前から薬剤耐性菌のプロジェクトを立ち上げ,AMED(国立研究開発法人日本医療研究開発機構)という枠組みのなかで研究を行っております。AMEDのなかでも「創薬ブースター」とよばれるプロジェクト期間中は,これに関連する論文は控えられます(新薬を目指している場合に論文公開は致命的です)。

そこで,その周辺領域の論文を出して細々と繋いでおります。まあしかし薬剤耐性関連の論文が一報しかないので,当然,耐性菌関連の科研費を獲得するのは難しいです。個人的な感触ですが,研究者なら年間1報は論文が必要です。最悪,2年以内に1報を書き上げる必要があります。

論文がないから科研費がとれない,科研費がないから研究できない,

その領域で論文が無ければ,そのまま負のスパイラルに直結するのです。

まあAMEDの研究費があるので研究は大丈夫ですが。


話を元に戻すと,僕の場合,

「論文をコンスタントに出せないから科研費を取れない」

という人生の遅刻です。

人生の遅刻は致命的ですが,誰も注意をしてくれないと言うことです。

遅刻は目に見えるけど人生の遅刻は見えずらいです。


退職までのあと3年でどこまで行けるのか? それを考えた場合,日々の遅刻よりも人生の遅刻をしないほうが優先事項は高いです。

研究費の例で,「人生の遅刻」を考えましたが,そもそも研究はもっと大きな視点で捉えたほうが良いのでしょう。

「天空に大きな円を描きなさい。その円はあなたの代で完成することはできないかもしれない。でもあなたはその円の弧になることができる。」

イギリスの詩人 ロバート・ブラウニングの言葉ですが,次の耐性菌研究に繋がるような発見をしたいと思います。しかしその反面,何が根源的な耐性菌関連の事項に繋がるのか分からないです。だから一周りして,自分の好きな研究に,とことんのめり込むことが大切だと思います。「大切だ」は良くないですね。好きなことにとことんのめり込むことで,意外なところから新たな発見が生まれるかもしれません。

良いところで話がまとまらずに駄文となってしまいました。

お付き合い頂きまして,ありがとうございました。