2011-09-12

IUMS 2011 番外編


学会活動のあとは,桑江君堀口さんの不動のメンバー?に三澤先生,マミちゃんが加わって,さらにアグニータの参加で楽しい飲み会となりました。アグニータは2連チャンで参戦です。彼女は金曜日からウイーン(ヴィエナと発音するらしい)に飛んで,EMBOの若手プログラムセミナーのスピーカーとして呼ばれているにも関わらず,パワフルに日本をエンジョイしていました。EPECの連中であるガディ,ローゼンシャイン,ジョン レオン,オーストラリアのリズ ハートランドとは飲みに行けなかったので次回です。ローゼンシャインがサバティカルに日本に来るかもしれないといっていたので,ドミトリーも利用可能な自分のラボを薦めておきました。
細菌学特別講義です。
快特でいった小樽。運河。

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プログラム最終日には,天皇陛下がご臨席されたセレモニーにも参加しました。その後に開かれた晩餐会で陛下と直接お話する機会は得られませんでしたが,それでも大感激でした。晩餐会では学長の柴先生にもお会いしました。
セレモニーが終わって駅前のホテルに移動すると,すごく狭い ,やられたと思いました。今までの高貴な雰囲気があっというまに吹っ飛んでしまいました。外の空気が吸いたくなって,地下街を歩いて,途中で放送塔をカメラにおさめ,ススキノにある「信月」でラーメンを食べました。ここのお薦めは「塩ラーメン」です。塩ラーメンはシンプルで,だからウソをつけない直球勝負でした。それから「ドゥ・エルミタアヂュ」というバーでカイピリーニャ,マルガリータを注文して,女性バーテンダーの中田さんと楽しくお話をしました。女性にはウエイターと言わないけれども,バーテンダーは女性・男性も同じくバーテンダーだそうです。見知らぬ土地のバーに入るときには,やばい店だったらどうしよう,それでなくても外れたら嫌だなみたいな緊張感が走りますね。もちろん「ドゥ・エルミタアヂュ」は再訪したいバーの一つになりました。ほろ酔い気分で,ふたたび信月で塩ラーメンを食べてから,独房のようなホテルに戻りました。
信月の塩ラーメン
ドゥ・エルミタアヂュのカイピリーニャ。
古い町並みも残っています

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翌日は飛行機で羽田について,それからモノレール,山手線を乗り継いで御徒町に行きました。OD BOXでスカルパの軽めのトレッキングシューズを購入し,長野新幹線で自宅の上田に向かいました。新幹線では,温存しておいた札幌のウニ弁当をあけ,黄金色に輝きつつある日本の田園風景を眺めました。

自宅に戻り,バックパックにウインドブレーカー,着替えのTシャツ,1泊分の食料・水などをそそくさと詰めて,近くの独鈷山に向かいました。登り始めたのが,夕方の5時頃で,林道部分はうっすらと暗くなっていました。案内板を見ると,頂上まで100分。休息を入れなければ約1時間と計算し,6時をタイムリミットと決めて登りました。6時少し前に山頂部について山からの眺めを満喫しました。服を着替え下山を開始したときに,私は一瞬焦りました。空ばかり眺めていて,足元がすっかり暗くなったのに気がつきませんでした。尾根から降りたところに分岐路があるので,ここを間違えないように慎重にすすみました。尾根伝いを外れたルートのすぐ目の前で,「ブヒィ」とするどい鳴き声がして,猛烈な勢いで木々が揺れました。「イノシシだ!」と思いましたが,真っ暗で目視できません。急速に胸の鼓動が高まりました。大型動物がいる恐怖感を感じました。暗闇の山中で手を叩きながらじりじりと下山しました。何度か転びながら,その都度,焦りが増大していきました。この気温なら,万が一,道に迷っても死ぬことはないと思いましたが,それでもイノシシが徘徊しているようなバキッと枝の折れるような音に耳を済ませながら,進み続けました。しばらく歩いたあとに村の明かりが見えて,助かったと思いました。
独鈷山の麓でピックアップしてもらって,別所温泉「晴山」に向かいました。元レスリング部のオーナーに,その時間なら何があってもおかしくはないですねと,呆れられました。まあしかし,その日にどうしても独鈷山に登りたかったのです。今は無事で,新幹線のなかでブログを書くことができた事に,感謝です。


独鈷山頂上

緯度が低いので1200mぐらいあっても,森林限界にならない