2011-09-14

第94回日本細菌学会関東支部総会


一般演題登録と参加登録の締切日を延長致しました。
締切日は9月28日(水)となりますので,よろしくお願いいたします。

詳しくは下記HPをご参照下さい。

今回は若手研究者の育成をメインテーマとして,プログラムを組みました。また,若手の参加は全てフリーとしました。特別講演,若手対象ワークショップも全てタダです。これだけの豪華メンバーが,一堂に会する機会は,おそらくないと思います。是非,ご参加をお願い致します。また,学生さんには今回もベストプレゼンテーション賞を設けましたので,副賞狙いで頑張ってください。情報交換会もタダですので,おいしいものたくさん食べて,研究者の輪を広げて下さい。あと,インターラボセミナーのアンケートで,細菌学会は服装がめんどくさい(スーツ,ネクタイ)という意見がありましたが,理事になるまではジーンズで出席して,顰蹙をかっておりました。ということで,各自気に入った服装で参加して下さい。僕もノーネクタイで参加しますので,よろしくお願いいたします。

第94回日本細菌学会関東支部総会 総会長
阿部章夫

このときは戦いやすいようにブラジリアン柔術の正装で参加。スーツ姿では袖車できませんからね。ちなみに柔術着はハンターです。【若手コロッセウムにて】

2011-09-12

IUMS 2011 番外編


学会活動のあとは,桑江君堀口さんの不動のメンバー?に三澤先生,マミちゃんが加わって,さらにアグニータの参加で楽しい飲み会となりました。アグニータは2連チャンで参戦です。彼女は金曜日からウイーン(ヴィエナと発音するらしい)に飛んで,EMBOの若手プログラムセミナーのスピーカーとして呼ばれているにも関わらず,パワフルに日本をエンジョイしていました。EPECの連中であるガディ,ローゼンシャイン,ジョン レオン,オーストラリアのリズ ハートランドとは飲みに行けなかったので次回です。ローゼンシャインがサバティカルに日本に来るかもしれないといっていたので,ドミトリーも利用可能な自分のラボを薦めておきました。
細菌学特別講義です。
快特でいった小樽。運河。

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プログラム最終日には,天皇陛下がご臨席されたセレモニーにも参加しました。その後に開かれた晩餐会で陛下と直接お話する機会は得られませんでしたが,それでも大感激でした。晩餐会では学長の柴先生にもお会いしました。
セレモニーが終わって駅前のホテルに移動すると,すごく狭い ,やられたと思いました。今までの高貴な雰囲気があっというまに吹っ飛んでしまいました。外の空気が吸いたくなって,地下街を歩いて,途中で放送塔をカメラにおさめ,ススキノにある「信月」でラーメンを食べました。ここのお薦めは「塩ラーメン」です。塩ラーメンはシンプルで,だからウソをつけない直球勝負でした。それから「ドゥ・エルミタアヂュ」というバーでカイピリーニャ,マルガリータを注文して,女性バーテンダーの中田さんと楽しくお話をしました。女性にはウエイターと言わないけれども,バーテンダーは女性・男性も同じくバーテンダーだそうです。見知らぬ土地のバーに入るときには,やばい店だったらどうしよう,それでなくても外れたら嫌だなみたいな緊張感が走りますね。もちろん「ドゥ・エルミタアヂュ」は再訪したいバーの一つになりました。ほろ酔い気分で,ふたたび信月で塩ラーメンを食べてから,独房のようなホテルに戻りました。
信月の塩ラーメン
ドゥ・エルミタアヂュのカイピリーニャ。
古い町並みも残っています

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翌日は飛行機で羽田について,それからモノレール,山手線を乗り継いで御徒町に行きました。OD BOXでスカルパの軽めのトレッキングシューズを購入し,長野新幹線で自宅の上田に向かいました。新幹線では,温存しておいた札幌のウニ弁当をあけ,黄金色に輝きつつある日本の田園風景を眺めました。

自宅に戻り,バックパックにウインドブレーカー,着替えのTシャツ,1泊分の食料・水などをそそくさと詰めて,近くの独鈷山に向かいました。登り始めたのが,夕方の5時頃で,林道部分はうっすらと暗くなっていました。案内板を見ると,頂上まで100分。休息を入れなければ約1時間と計算し,6時をタイムリミットと決めて登りました。6時少し前に山頂部について山からの眺めを満喫しました。服を着替え下山を開始したときに,私は一瞬焦りました。空ばかり眺めていて,足元がすっかり暗くなったのに気がつきませんでした。尾根から降りたところに分岐路があるので,ここを間違えないように慎重にすすみました。尾根伝いを外れたルートのすぐ目の前で,「ブヒィ」とするどい鳴き声がして,猛烈な勢いで木々が揺れました。「イノシシだ!」と思いましたが,真っ暗で目視できません。急速に胸の鼓動が高まりました。大型動物がいる恐怖感を感じました。暗闇の山中で手を叩きながらじりじりと下山しました。何度か転びながら,その都度,焦りが増大していきました。この気温なら,万が一,道に迷っても死ぬことはないと思いましたが,それでもイノシシが徘徊しているようなバキッと枝の折れるような音に耳を済ませながら,進み続けました。しばらく歩いたあとに村の明かりが見えて,助かったと思いました。
独鈷山の麓でピックアップしてもらって,別所温泉「晴山」に向かいました。元レスリング部のオーナーに,その時間なら何があってもおかしくはないですねと,呆れられました。まあしかし,その日にどうしても独鈷山に登りたかったのです。今は無事で,新幹線のなかでブログを書くことができた事に,感謝です。


独鈷山頂上

緯度が低いので1200mぐらいあっても,森林限界にならない







IUMS 2011 怒涛編


一週間の会期で開催されていたIUMS 2011が無事に終わりました(ウイルス部門はこれからです)。今回は細菌学会総会も同時進行で,総会長の中根先生が気苦労された部分が多かったと思いますが,大きなトラブルもなく盛会でありました。
IUMS 2011のプログラム企画に参加して,多くの先生方と知り合いになれたことは大きな収穫でした。その反面,国際プログラム委員の意向が強すぎて,コンビーナの先生方に不快な思いをさせてしまったことも事実であります。私自身,何の前触れもなく,コンビーナから外されました。まあしかし,私も外されたおかげ?で,「実は私も戦力外通告を受けたのですよ」と,他の先生に弁明ができたので,これもプラスに働きました。プログラムのやりとりでは散々な思いをしましたが,大震災・原発問題にも関わらず,多くのスピーカーが海外から参加してくれたことで,それなりの成果を残せたと思っております。

また,カロリンスカ研究所で活躍している,アグニータと再開できたことも嬉しかったですね。彼女は留学時代の私の友人で,大きなグラントを獲得し,ますます波に乗っているようです。彼女と僕は同じ年齢ですが,スケールが違うなと思いました。何が違うのかというと,まず,垣根がないことでしょうか。自分が知りたいこと,やりたいことに貪欲で,その分野で専門外であると思ったら専門のスタッフを雇って,自分でイニシアティブを取っていく姿勢がすごいなと思いました。今の学生・ポスドクは「将来,自分をどうやって売り込むのか,そのブランディングができていない」と熱く語っておりました。私も「あ,すみません」みたいな感じになって行きました。。。彼女には,「自分の専門領域ではないから」と躊躇してしまう部分が,ありません。彼女は,細菌の病原因子がカルシウムシグナリングに影響を与えるという研究から発展し,「病原細菌が自分のバックグランド」であるとしながらも,今はニューロサイエンスの研究,新規ポリマー素材を用いての人工神経系の構築にも関与しています。限られた時間しかないから,好きな事をやる。彼女の言葉は印象的でした。きちんとやろうとするから,小さなことしかできない。今の自分にはこういった部分があるのかなと思いました。

国際学会の良さはプログラムもさることながら,一流の研究者がどう考えているのか,教えてもらうことができる点です。アグニータがブランディングについて彼女なりの視点で語ってくれましたが,これはグランドホテルの近くにあった居酒屋でした。いろいろなものを注文して,そのなかでも彼女はカニクリームコロッケがひどく気に入ったようです。僕はこれを覚えておきましょう。

アグニータとともに
会場付近はいつもこんな感じの天気でした
今年度の細菌学会各賞 受賞者の先生方です
会場のヒトコマ。このあとサイドスクリーンに「写真は撮るな」との警告が。。。

2011-09-03

夢は今もめぐりて

明日,Killer Bee時代から一緒だったKさんが,上田の我が家に遊びに来てくれる。僕は柔術専門のジムTFAに移籍してしまったために,6月後半から互いに会うことはなかった。先日,そのKさんから連絡が入って,故郷へ戻るという知らせを聞いた。遠く離れてしまう前に,男同士で話しあおうではないかということで,久々に再会する。

Killer Bee時代はプロ志向のジム生が多く,僕のような40過ぎのおっさんが練習するような場所ではなかった。それでもやめないで今まで続けられたのは,ジム仲間の存在が大きかった。あのころジムは白金にあって,僕は職場の大学に近いと言うだけで,killer Beeを選択した。ジムに入って間もない頃,近寄りがたい雰囲気の男が,僕にパンチの出し方を教えてくれた。「この人,怖そうだけど,カッコいいなあ」と思い,僕はこの男の名前を聞いた。男は「山本です」と答えてくれた。後になってジム生から,「KIDさんに名前を聞いたのは,阿部さんが初めてですよ」と苦笑された。それぐらい僕は,総合格闘技と無縁のところで,暮らしていた。

練習が終わると食事をとる気になれずに,しかしその甲斐があって,半年もしないうちに僕のメタボ体質は平常値を示した。しかし,練習は依然として辛いままであった。ジムに行く日は,必ず腹痛をおこした。たぶん行きたくはなかったのだと思う。ジムのドアを開けてしまい,あの独特な消毒の匂いをかぐと腹をくくることができるのだが,そこまでが辛かった。

僕は仲間のおかげで,ここにいる。
明日はKさんと話をして,故郷へ戻る前に,もう一度スパーリングするつもりだ。
そして僕が勝つ,,,予定です。