2020-04-13

新型コロナウイルス,「生物兵器説」と「研究所流出説」について考えてみた

ここでは,新型コロナウイルスの「生物兵器説」と「研究所流出説」について少し真面目に考えてみたいと思います。これまでの学術的な側面,過去のSARSコロナウイルス流出事例から,今回のCOVID-19について考えてみたいと思います。
僕はウイルス学者ではないので,専門家の意見とは異なるかも知れません。なるべく中立的な立場で,今回の感染事例について考えてみたいと思います。
noteに書いていたものをベースに加筆訂正しました。

1 生物兵器説について
新型コロナウイスは,中国やアメリカの生物兵器だという記事を見かけます。仮に生物兵器として使うのならば,実行する側にワクチンや薬剤があって自国の部隊に罹らないような戦略が必要です。また,新型コロナウイルスはコウモリ由来とされており,このような生物兵器を使って統治しても常に自然宿主であるコウモリからの感染に気をつける必要があります。これらを踏まえると,生物兵器に対するワクチンや薬剤があって,しかも感染はヒトに限定的である必要があります。これらを満たすのが天然痘ウイルスです。このウイルスは,バイオテロを防ぐために,ロシアとアメリカのBSL-4施設で厳重に保管されております。
ヒトに感染する改変ウイルスの作製 = 生物兵器なのか?
あと,ヒトに感染する改変ウイルスの研究を行っているだけで,すぐに生物兵器の研究とみなすことはできません。たとえば,過去の鳥インフルエンザウイルスの研究では,改変ウイルスを作製し,わずかな変異で哺乳動物間での伝播が可能な変異ウイルスが出現することを実験室で証明したグループがあります。
このときは米国のバイオセキュリティー国家科学諮問委員会が乗り出して「哺乳類間での伝播力を付与する変異などの公表を限定的な範囲にとどめるべき」との圧力が入って,すごい論争に発展しました。
https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/specials/contents/H5N1-influenza/id/nature-comment-013112

じゃあ,なんでこんな危険な研究を行う必要があるの? という意見もあるかと思います。
上記の鳥インフルエンザを例にあげると,それはウイルスのゲノム変異の研究を予め行うことで,将来,出現するであろうヒトに感染する鳥インフルエンザウイルスに対して,現在,保有しているタミフルやワクチンが有効なのかを予め検証することができるからです。
その一方で,変異した鳥インフルエンザウイルスが野外に拡散したら,それこそどのような変異が蓄積されさらに高病原化するのか? 誰にも予測がつきません。このように,遺伝子改変をともなう鳥インフルエンザウイルスの実験は非常に危険なので,BSL-4の実験施設で行われています。
話を戻すと,SARSウイルスの研究で一躍有名になった武漢ウイルス研究所の研究者も,より踏み込んだ実験を行うために,BSL-4の実験施設が欲しいと思うのも当然です。
彼らはSARSによる国家的危機を経験してきたから,ヨーロッパ人がペストの研究をするようにコロナウイルスの研究を精力的に展開するのはとても理にかなっています。それを生物兵器を造るからと言われては,研究者として残念な気持ちになるでしょう。
なので個人的には「生物兵器説」はありえないと思います。
2 研究所流出説について
新型コロナウイルスは海鮮市場から発生した説もありますが,武漢ウイルス研究所が海鮮市場から約14 km 離れたところにあるのも事実です。現段階として「研究所流出説」も感染ルートの一つとして排除しないほうが良いというのが個人的な考えです。
彼らは過去に Bat coronavirus RaTG13 というコロナウイルスを雲南省のコウモリから分離しております。武漢ウイルス研究所が発表したネイチャーの論文では,新型コロナウイルスSARS-CoV-2のゲノム配列と顕著に同一性を示したのは,驚くことに,彼らが過去に分離しているBat coronavirus RaTG13なのです。両者はゲノムレベルで96%もの同一性を示します。もちろん,SARSコロナウイルスのゲノムとも同一性を示しますが,ゲノムの同一性は80%ぐらいです。
Bat coronavirus RaTG13のスパイクタンパク質は,他のコウモリ由来のコロナウイルスのそれらと比べて変わっております。こういった変種のコロナウイルスがヒトに感染するようになったらどの程度の伝播力を示すのか?,また,ワクチン作製は可能なのか? 実験室内で予め研究しておくことで自然界の変異に対して先手を打つことができるので,彼らがRaTG13株を用いて実験をしていたとしても不思議はないです。むしろ研究者なら,こういった変異型のほうに興味を示すはずです。
その一方で,RaTG13株から今の新型コロナウイルスに変異(進化)して,今の災いをもたらしたと考えるのは,無理があります。
この論文では,RaTG13株と新型コロナウイルスSARS-CoV-2はゲノムレベルで4%しか違わないから,武漢ウイルス研究所のRaTG13株の「流出・自然界での変異」を疑っている人たちに対して反論しています。
2つのウイルス間の dS value を算出すると0.17 という値です。ちなみにヒトとチンパンジーのゲノム間の dS value は0.012。また,ヒトとアカゲザルのdS value は0.08となります。この値が低ければ低いほど進化的に近いということになります。
たかだかゲノムレベルで4% しか違わないのだから,まあまあ一緒じゃん!と素人的には考えてしまいますが,ヒトとチンパンジーあるいはアカゲザルとの比較から,RaTG13と2019-nCoVは進化的に随分離れたところに位置しているようです。
したがって,仮にRaTG13株が野外に流出したとしても,新型コロナウイルスに変異するためには,すごく時間がかかるらしいです。このへんは生物進化学の専門家ではないのでなんとも言えませんが,RaTG13株と新型コロナウイルスを結びつけるのには,生物進化学から考えてみると飛躍しているようです(追記をご参照ください)。なので,RaTG13株あるいは類似株がコウモリから別な中間宿主を介してウイルス複製を繰り返す過程で,変異が蓄積してヒトに感染が成立するようなったと考えている研究者もおります。もちろん,このような中間宿主の存在も不明です。

なので,現時点では「ウイルスの感染源ならびにコウモリからヒトへと宿の壁を越えるようになった中間宿主についてもわからない」というのが現状です。
追記: ざっくりと計算すると新型コロナウイルスのゲノムは約30000塩基。RaTG13株とSARS-CoV-2のゲノムの違いは,4%なので1200塩基が違います。ゲノム解析から新型コロナウイルスは,1年間で約26塩基の変異が起きると推定されています。したがって,RaTG13株に変異が入ってSARS-CoV-2になるまでに,1200/26= 46.15 年かかる計算になります。武漢ウイルス研究所で RaTG13株を分離したのは2013年です。もし,2013年の時点で野外に流出しても,RaTG13株由来でSARS-CoV-2が出現するのは2059年ということになります。
3 実験室感染によってSARSコロナウイルスが実験室外に流出した事例
ヒトに重篤な感染を示す病原体は,厳格なバイオセーフティーレベル (BSL) 施設のもとで,実験・管理運営がなされおります。武漢ウイルス研究所にもBSL-4施設があるので,コロナウイルスの研究等は必要に応じてそういったところで適切になされていたと考えられます。
その一方で,新型コロナウイルスと同じレベルで扱われるSARSコロナウイルスについては,過去に少なくとも2度の実験室感染の事例があります。
SARSは,2002年11月16日に中国南部の広東省で原因不明の肺炎患者が報告されたのをはじめとして世界に拡散しました。武漢ウイルス研究所の人たちは広東省から近い雲南省の洞窟から,数年をかけて,たくさんのコウモリからコロナウイルスを分離し,SARSコロナウイルスはコウモリ由来であることを結論付けました。この研究成果は今でもオンラインで閲覧することが可能です。
話を感染事故に戻すと,1つはシンガポールの事例です。国立感染症研究所のウエブサイトによると,SARSコロナウイルスを扱っている最中に実験室感染を起こした事故があります。
もう一つは,北京と安徽省におけるSARSの集団発生の事例です。これも感染研のサイトで閲覧可能です。
どんなに厳しい管理をしていても,ヒューマンエラーはあるものです。
様々な情報が錯綜するなかで,感染ルートの調査が今回の事例ではほとんど欠落している点が気になります。なので,研究施設からのウイルス流出説については,今すぐ排除するのではなく,詳細な検証が必要であると思っております。
ワクチンや薬剤が開発されることで,SARS-CoV-2は,やがて終息を迎えることでしょう。しかしその一方で,SARS, MERS のあとに新たなコロナウイルスSARS-CoV-2によるパンデミックが起きているように,今後のウイルス感染制御の資産として,どうやってSARS-CoV-2が発生したのか,それには,感染源・中間宿主の特定が重要となります。

これは僕が声を荒げるまでもなく公衆衛生学のスタンダードな考え方ですが。。。

かつて,コンゴ共和国の密林に流れるンコンゴ川流域に生息していたチンパンジーからヒトにウイルス感染が起こりました。今ではこの病原体の正体は,HIVであることが分かっております。こういった学問的背景のもとに,今のHIV研究があります。このへんは「撃ち落とされたエイズの巨星」に詳しいです。
最後に,大国がいがみ合うのではなく,国を越えた協力体制のもとで,COVID-19に立ち向かうことが大切であると思っております。
一刻も早く元の世界に戻れることを!