4. 転写制御からin vivoの研究へ
日本で行っていたサルモネラの研究を発展させるべく,Finlay博士の研究室での生活がスタートしようとしていた。少なくとも当初の予定ではそうであった。しかしながら,数人のポスドクが既にサルモネラ研究を行っており,サルモネラよりも腸管病原性大腸菌(enteropathogenic Escherichia coli, 以下EPECと略す)の研究を行って欲しいと,Finlay博士から提案があった。
EPECは腸管出血性大腸菌(enterohemorrhagic E. coli, 以下EHECと略す)と共通したメカニズムで下痢を発症することが知られている。EHECは病原性が強いので(約10菌数で感染する),多くの研究者はEPECを用いてEHECの下痢発症機構を解明しようとしていた。
現在ではEPEC,EHECともにIII型分泌装置によって宿主に移行するエフェクターの機能によって下痢を発症することが明らかになっているが,1995年当時,下痢発症機構は謎に包まれていた。
EPEC/EHECの下痢発症機構を研究するためには,in vivoでの感染実験が必須であるが,EPEC/EHECはマウスなどの齧歯類には下痢を惹起しないことが既に報告されていた(注1)。このような状況で,なんとか動物実験で下痢を起こすようなシステムを立ち上げて欲しいというのが彼の希望であった。
それまで私は動物実験の経験がほとんどなく,また,このプロジェクトを開始したら相互作用解析の研究から遠のくことを意味していた。
自分にとって,経験もなく無謀なプロジェクトであったと思う。
それでも私は日本人としての美徳から,彼のオファーを断ることができずに「はい」と返事をしてしまった。彼は「はい,という意味は日本語でYesなのか?」と聞き返してきた。留学初日でサルモネラ研究をより深く展開するという思いは,EPECというまったく別な研究材料になってしまい,相互作用解析は,in vivo感染実験系の確立というテーマにすりかわってしまった。
それでも,ある程度の実績を出したら,自分の思った領域に研究を展開していけば良いという楽観的なところから,カナダ留学はスタートした。日本でのEHECによる大規模な食中毒が起きたのは,それから1年後のことである。
5. 留学当初の憂鬱な日々
ボスの一言でサルモネラから腸管病原性大腸菌へと研究対象が大きく変わってしまったが,晴れてFinlayラボの一員になることができた。
しかしながら,確実にやらなければならない細々としたことは,津波のように押し寄せてきた。
私は大学でのセットアップ,妻はアパートメント探しに奔走した。英語がうまく話せないなかで,妻も私も疲労困憊であった。大学ドミトリーの仮住まいが10日ぐらいしたところで,ようやくギリシャ系移民のビッキー宅にお世話になることができた。
カナダ,バンクーバー周辺の建物は1階部分がベースメントとよばれる作りになっており,半地下状態のような家屋になっている。日当たりが悪いために自分たちでは住まないで賃貸にまわしている場合が多いが,ビッキーのベースメントは日当たりも良く,なによりも美しい海岸に近くにあった。
なんとか住むところは決まったが,スーパーの買い物でさえ苦労させられた。もちろん英語を流暢に使いこなせればたわいもないことであったが,日常の買い物や銀行の口座開設などで悩んだりすることが多かった。同時期に来たフランスやスエーデンのポスドクたちは,すぐに日常生活に溶け込み,ラボのセットアップも楽しそうにしているのに,私のほうは制限酵素の注文すら思うようにできないでいた。
試薬を一つ手に入れるのでも,実験室を仕切っているテクニシャンに確認を入れ,試薬を扱っているデパートメントを探し当てなければならない。日本にいれば数分で済むことも,どうして良いのかわからず,数時間を費やしてしまうことが少なくなかった。
当初はこのような連続で,留学は自分にとって本当に正しい決断であったのか?というところに思考が収束していった。しかし留学全体を通してみれば,Finlayラボに4年間滞在することになり,ラボの最古参の一人になるのだから,人生はわからないものである。
注1: 最近では,EHECの感染系に Germ-free mice (無菌マウス)が使われております。まあでも本来のEHECの定着は,再現できないでしょうね。