酵母におけるmRNA 3’末端生成の機構に関する論文でなんとか学位を取得し,また,酵母の発現ベクターについては特許取得までこぎ着け,まさにこれから研究が開花しようとする時期であった。しかしながら,真核細胞における転写制御の研究で,これから独立してやっていけるのかという不安も隠しきれなかった。
当時,オランダのハーグで酵母の国際学会が開催され,今までの研究内容をプレゼンする機会に恵まれた。私にとって初めての国際学会であり,会場で著名な研究者とも出会うことができて,何もかも新鮮であった。
そのなかでも強烈なオーラを放っていたKevin Struhl博士 (現Harvard Medical Schoolの教授で,今なお転写制御の領域を牽引している)のプレゼンテーションに雷に打たれたようなショックを受け,そのときかなりはっきりと「私はこの領域で生き残れない」と確信した。
彼のように転写制御の研究を自分なりの視点で切り開いていくことができるのか自問自答し,それは無理だと判断して,暗澹たる気持ちで国際学会を後にしたことを覚えている。
転写制御研究が未来に繋がっていないのならば,日本の細菌学の源流である北里研究所で,細菌について一から学びなおすのも良いのではないかと思い,30歳を目の前にして研究領域を大きく鞍替えした。
細菌ならゲノムサイズも小さいし何とかなるだろうという楽天的な気持ちだった。
結局のところ,競合が激しい転写制御の世界から逃れたかったことも大きな理由であったと思う。
2. 1990年初頭: 転写制御における個人的限界から病原因子そのものへ
挫折感を抱きながら北里研究所の細菌研究室に入室し,まっさらの状態で病原細菌の研究を開始することになった。当時の指導者は檀原宏文先生で,細菌を題材にした初めての研究テーマは,サルモネラのプラスミド性病原遺伝子における転写制御の解析であった。
酵母で行ってきた研究領域に近いところから細菌の病原性発揮のメカニズムを解析しようというのが当時の私の考えであった。真核生物では一本のmRNAにコードされる遺伝子は一般的に一つであるが,細菌では一本のmRNAに複数の遺伝子が連座している場合が多く,ポリシストロニックなRNAを構成している。
また,細菌のmRNAはキャップ構造やポリA構造も持たないために非常に不安定であり,RNA研究は時間との勝負であった。 このような違いから解析に手間取ったが,細菌学会の関東支部総会でプラスミド上に存在するSpvRと呼ばれる正の調節因子について,その制御機構について発表する機会を得た。
しかしながら,私の研究内容はなかなか受け入れてもらえなかったのである。SpvRが自身のプロモーター領域にも作用し,自己の転写活性をあげるという作業仮説を提唱したが,最初に発表した時点ではSpvRの抑制機構については不明であった。
当然, 学会の重鎮から反論があり,「正の調節因子であるSpvRが自身のプロモーターに作用したら,転写が止まらなくなる。だから君の研究は論理的におかしい」というものであった。反応は予想できたが,いざ学会の重鎮にこのような発言をされると私の行っている研究が間違っているのではないかという空気が流れ,新しく入った学会はひどく居心地が悪かった。
そもそも論理的に考えて生命現象が理解できるのなら,研究という領域はひどくつまらないものになっていたはずだ。転写はDNA上のプロモーターと呼ばれる領域に,RNAポリメラーゼが結合することで開始され,mRNAを合成していく。プロモーター領域にはRNAポリメラーゼの他に,転写の活性化を促進するタンパク質,あるいは抑制するタンパク質が結合することで,タンパク質の合成を転写レベルで調節している。
論理的に破綻しているようにも見えるSpvRの転写はどのように調節されているのであろうか? SpvRは下流に存在しているポリシストロニックなspvABCD RNA (spvA, spvB, spvC, spvD遺伝子が一つのmRNA上にコードされている)の転写を正に調節している。実は最上流に位置するSpvAは負の調節因子であり,正の調節因子であるSpvRはSpvAによって負のフィードバックを受けることで,過剰な転写が進行しないように調節されていたのである。
こうしてSpvRの制御における謎は自分自身で解くことができたが,転写調節の研究をいくらやっても感染現象には辿り着けないのではという思いが,次第に強くなっていった。
今でこそトランスクリプトーム解析が花盛りで,細菌の病原性解析に大きく貢献しているが,当時の私は放射性物質で標識されたプローブを使ったmRNA解析に辟易していたのである。
ラジオアイソトープ施設のなかにいたのでは,細菌の病原性解析にせまれない。そこから出て行く必要があると思い,留学を決意した。
留学先はカナダ,バンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア大学でBrett Finlay博士の研究室に身を寄せることになった。(続く)