2015-02-18

おめでとう☆

先日,卒業生の久留島君の結婚披露宴に,ご招待いただきました。

久留島君の人柄がじんわりと伝わる,とてもきちんとした披露宴でした。これからは研究に,そして,家庭においてもがんばって下さいね。

ここからは僕の話です。僕はごくごく身内で,ささやかな披露宴をしたのを覚えています。それから,ほどなくしてカナダに旅立ちました。

留学を控えていて2ヶ月を切ったときに,論文のレビューが返ってきました。当時の指導者からは「間に合わないんじゃないか?」と言われました。このような状況で,小さな披露宴でさえ,僕には大事のように思えました。われながら,器量の狭い男だと思います。。。

それから,留学前の準備と論文の追加実験で,地獄の日々をおくることになりました。

一番傑作なのは,妻を先に成田に行かせて,僕はギリギリまで論文の手直しをしていました。それが終わったのが出発当日の朝5時頃でした。それから,東京駅前の郵便局にて論文を投函し,成田まで電車で向かいました。電車のなかで,お世話になった先生方にハガキを書き続けました。シンドラーのリストみたいに。。。

成田では空港のおまわりさんに,手に抱えたむき出しのQuadra 700 と,引っ越しで薄汚れたTシャツのお陰で,かなり怪しまれました。

搭乗ゲートについたときに,僕はこれで当分,日本とおさらばできると,有頂天でした。搭乗日当日は一睡もしていなかったので,飛行機のなかで爆睡できるかと思ったのですが,いろいろなことが不安になって,ほとんど眠ることができませんでした。

それから,1995年の4月16日から,4年間をバンクーバーで過ごすことになりました。

結局,4年後に同じアパートに戻ることになるのですが,便所の窓が4年間あいたままで,大変なことになっていました。押入れには池澤夏樹の「夏の朝の成層圏」がぽつんとありました。それを見たときに,4年間の歳月に圧倒されそうになりました。

僕はきちんとしてこなかったけれども,それでも続いている道があるのだと,久留島君の披露宴に参列して,しみじみ思いました。

これからもお幸せに☆