2009-09-06

原理的に可能,しかし,現実的に可能とは限らない

研究を行う上で様々な選択肢の中から,原理的に可能であって,かつ,最高のパフォーマンスを発揮できるようなデザインを考えていきますよね。しかし,原理的に可能であることも,現実的に可能であるとは限らない。

原理と現実が乖離していると,我々は失敗という現象を体験することになります。しかし,そういったところから,原理的(理想,ビジョン)と現実のはざまにあるギャップをよく考えることになります。その溝,深淵なるブラックボックスに何があるのか,よく突き詰めて考えることで,現実がより高い次元に歩み寄っていくことになります。

日々の失敗も,実験と同じレベルで考えていく,しかも楽しみながら考えていく訓練を常に行って欲しいのです。一流の人間も失敗の数は凡人と同じ。しかし,失敗の最初のインパクトで,多角的に捉える視点をもっていると思うし,失敗に対する優先事項のランク付けがしっかりしているから,失敗と呼べない時点でうまく回避しているのでしょう。一番怖いのが,失敗を何度も繰り返しているのに気がつかない,思考停止の状態です。

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昨日も,プリンターエラーで,高画質プリンター用紙がたくさんゴミ箱に捨てられていましたが,プリンター本体以外に目を向けることができたのなら,リカバリーもはやかったはず。巨大なサイズのプレゼンファイルを,プリンターのもっている最高画質の限界で打ち出そうとしたら,どれぐらいプリンターとマシンに負荷がかかるのか想像してみることです。プリンターにも物理的なメモリーがあって,そのバッファーサイズを超えたらコンピューターと同じようにフリーズします。 

Ghost in the machine が囁いている言葉を,聞き取りましょう。

研究で忙しいから,他には目が行き届かないかもしれない。

しかし,あらゆる日常の所作も,最終的には研究者としての資質に繋がっていくのです。研究者として飯を食っていくことは至難の業ですから,常に研究の視点で日常を見据える訓練は,重要だと思います。

ラボで行う研究も重要ですかが,

「メシ食って,クソして,寝る」

なかで,研究の所作を学んでいくほうが絶対的に重要だと思うのです。