2013-05-29

慶応義塾大学医学部:講義

本日,慶応義塾大学・医学部で,微生物学講義を一コマ担当しました。

ここの医学部には,少なからず縁があります。僕は北里大学の修士をでて,北里研究所に就職しました。当時,研究所は,酵母による肝炎ウイルスワクチンの生産を計画していました。そこで僕に白羽の矢が立ち,信濃町にある慶応大学医学部に出向となりました。

僕は4年間を,信濃町の慶應で過ごしました。誰が言ったのかわかりませんが,ともかくも8時間労働に近かったと思います。冗談みたいですが,8時間ぐらいは自宅にいて,それ以外の時間は,ほとんどラボにいました。まあしかし,誰もがハードワークの時代ですから,特別きついとも思いませんでした。

僕は,酵母をもちいて,pre-mRNAの成熟過程で,mRNAになるときのpoly A 付加について研究していました。放射能で標識したpre-mRNAが酵母抽出液のなかで切断され,poly Aが付加されていたときは,本当にうれしかった。この研究で,pre-mRNAの切断箇所とpoly A 付加のシグナル配列が明らかになりました。EMBO J. に発表されたときには,自分ながら,よくやったと思いました。

それからずっと後の話をします。今回の講義は,吉村昭彦先生にご招待頂きました。何年か前に教授選考会があって,結局,僕が破れて吉村先生が教授となりました。

今回の講義では,そういった経緯もふくめて,学生さんに話をしました。意外にもこの話をしたときに,学生さんからものすごい拍手が沸き起こりました。吉村先生に対しての,ものすごいエールでした。ここの学生さんは,底抜けに明るいと思いました。さすが,学生祭に杉本 彩をよぶだけのことはあるなと思いました(実際,僕も,すでに取り壊されてしまったRI棟の窓から,小雨のなかでステージに立った杉本彩を眺めていたのです)。閑話休題。講義中にも質問があって心地良い緊張のなかで,90分間が終了しました。また,講義が終わってからも質問がたくさんあって,手応えを感じました。

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いくぶんというか,だいぶ老朽化している東校舎に,僕がかつて学んだ場所がありました。当時をふりかえるとハードワークの連続だったと思います。まあしかし,この延長線上に今の僕があるのだから,否定もしません。その一方で,慶應での出向時代に戻れ!と言われたら,決して戻りたくはありません。
このまま研究者としての人生をとるのか,それとも捨てるのか,何度も自問自答しました。天才がごろごろしていましたから,自分のいる領域ではないのかも?という気持ちが強かったのです。
誰もが苦しい時があるものです。そして,そういった苦しさにも免疫ができて,タフになっていくのかもしれません。

ともかくも,奔放な僕を,ここまで導いてくれた当時のF先生に感謝です。そして,このような機会を与えて頂きました吉村先生に感謝です。

気合をいれた講義と過去の思いが交錯しすぎて,ラボにもどっても放電状態でした。しょうがないので,とりへいで,ややぐったりしながらホッピーを飲みました。

東校舎の由来
北里図書館。ものすごく眠くなった時のシェルターでした。
一気に,思い出したせいか,ものすごく疲れました。
なので,近所のとりへいで乾杯。