われわれが,実際に物理的に掴むことができるのは,「現在」に存在している形あるものです。
また,大切なのは「過去」におきたことでもなく,「未来」におきることでもありません。大切なのは「今を生きること」です。
わかりきったことですが,それを実践するのは難しいと思っていました。
一方,われわれの抱えている問題や悩みは,「過去におきたこと」と「未来におきること」で占められています。現実には存在しないものに,心を煩わされているのも事実です。
夏の休暇を取って8月9日に尾瀬に入りましたが,僕の心には引っかかるものがありました。空は晴れているし,まさに絶好のハイキング日和でした。まあしかし,ちょっとした瞬間によぎる気持ちで,暗く沈み込んでしまうこともありました。
13日は実家で夜の9時頃までペルセウス流星群を探してねばりましたが,眺めることは叶いませんでした。眠りについたのは,11時頃だったと思います。
色々考えながら眠ったせいか,夜中に目が醒めてしまいました。やがて心は曇った糸に絡め取られるように,鬱々としてきました。僕にはよくあることで,何度か寝返りを打ちながら夜が明けるパターンです。またかと思いながら,うつらうつらしていました。
しかし,13日の夜は,いつもと違ったのです。
それは,
「すべてを,まるでそこにあるのかのように,つなぎとめておくことはできない」
「手でつかまえられるのは,今,目の前にあるものだけ」
ということを,よくわからないけれども直感したのです。
毛糸玉のような意識が中空に浮かんでいて,それが幾千本もの細かい糸でつなぎ止められている感覚がイメージされました。そしてその細い糸たちは,ゆるやかに消失していき,最後には丸い意識だけになったのです。
「思い,不安,欲,執着心,,,」というたくさんの細い糸で,自分の意識を,まるでそれらがないと壊れてしまうのかのように,繋ぎ止めていたのです。
「つなぎとめておくことはできない」と思ったときに,それらの糸はなくなり,とてもリラックスした感情が押し寄せました。この感覚はとても軽やかで,大切だと思ったので,枕元にある iPhone で時間を確認しました。
それが,2015年8月13日の 3:08 でした。
大切なのは,今を生きることです。しかし,この感覚をきちんともつことができませんでした。自分の意識を細胞骨格のように取り巻いていた「細い糸たちの切り離し」を行うことで,「今」が見えてきた感じです。
僕はこれまで,自分だけではなく周りをも強くコントロールしようとする気持ちが強すぎました。しかし,「過去におきたこと」,そして,「未来におきること」もコントロールすることはできません。そういった執着を午前 3:08 に手放したことで,気持ちがラクになりました。
あまりにも強すぎる願いは,かえって人を弱らせます。
まだ観察中ですが,この感覚と寄り添っていたいです。こういったことが穏やかにわかってくるのも歳をとるという恩恵なのでしょう。
皆さんの気持ちが少しでも晴れやかになれば,さいわいです。