2013-11-20

細菌学の特別講義 (最終回)

15. スパゲッティバグとの闘い
 ベルギーからの分与株を用いてIII型分泌装置が腸管病原性大腸菌の下痢発症に関与することを明らかにしたが,この強毒株でさえも実験結果が大きくばらつくことがあった。

 ウサギが腸管病原性大腸菌に感染すると,感染後3-4日で下痢を発症する。しかしながらある種のウサギにおいては,まったく下痢を発症しなかった。腸管病原性大腸菌に抵抗性を示したウサギについて組織病理学的な解析を行った結果,腸管の表面にはびっしりと怪しげな細菌が付着していたのである。電子顕微鏡で解析してみると,その細菌はスパゲッティのような形態をしていたので,我々はスパゲッティバグとよんでいた。

 その後何度か感染実験を行い下痢を起こさなかったウサギを解剖してみると,高頻度でこの細菌が腸管上皮に観察されたので,ウサギがスパゲッティバグをもっていると腸管病原性大腸菌の感染に抵抗性を示すという結論に達した。論文としてまとめるためにはスパゲッティバグでは具合が悪いので分類の専門家に尋ねたところ,segmented filamentous bacteria (SFB)という立派な名前をもっていることが明らかとなった。

 SFBについては腸管粘膜固有層の宿主免疫系,特にIL-17を制御している細菌として非常に注目されているが,当時の我々にとってSFBの出現は悪夢であった。後の実験でSFBをもつマウスは病原性細菌の感染に対して抵抗性を示すことが再確認され,我々の出した結論は正しかったことが証明されている。しかしながら当時の私にはSFBの重要性が理解できなかったのと,何よりも病原細菌の研究に固執したかったので,別なプロジェクトに移行してしまった。SFBは培養が困難でその解析は遅れているが,やがてはプロバイオティクスの領域で応用される日が近い。

16. 留学で学んだこと
 2年の留学期間で帰国するはずであったが実験上の様々な不運が重なり,結局,私は4年間カナダに滞在することになった。しかし今のアカデミックなキャリアがあるのも留学を通してのアウトプットがあったからだと思う。

 日本と海外先進国の研究環境を比較した場合,日本が劣っていることはなく,むしろ様々な面で整備されていることに気づく。順当に業績を残したいのであれば,わざわざ留学というリスクをおかさなくても日本でやっていくことは十分可能である。

 それでは何故留学が重要なのか?というと,私は脳力の再構築にあるのだと思う。英語が通じず何をするにも多くのエネルギーと忍耐力が必要で「自分だけでは何もできない」と,無力感を痛切に感じるのも留学の醍醐味である。語学に堪能で,初めからコミュニケーションに問題がなければ,「苦労がともなわない=得るモノも少なかった留学」であったかもしれない。

 逆説的に言えば,英語はできなければできないほど留学から得られる経験は大きいと思う。これから留学を考えている若手の皆さんへの助言として,英語の勉強はほどほどにして留学することを強く勧めたい。細菌学の特別講義はこれで最後になるが,細菌の病原性発揮における精緻なメカニズムを感じ取って頂けたら,筆者として幸甚である。