2013-10-23

細菌学の特別講義 (第六限目)

8. バンクーバーからボルチモアへ
 グラム陰性菌の病原性解析の利点として,染色体上の任意の遺伝子を破壊させることが可能なことである。これにより親株と欠損株の比較解析が可能になり,単一遺伝子の欠損でどこまで病原性が低下するのかを精査することが可能である。当然,単一の遺伝子の欠損株で病原性が大きく低下するような表現系であれば,当たりくじを引いたことになる。

 変異株を作製してしばらくすると,私はボルチモアという場所に飛ばされた。ボスに変異株を作製したので,感染実験はどのようにしていくのか話を切り出した。感染実験などしたことがないし,私だけでは絶対無理であることを強調した。それならボルチモアに知り合いがいるので,そこで共同研究するのはどうかと話が展開していった。そこで1ヶ月の研究期間で,妻をバンクーバーに残して米国のボルチモアに飛んだのである。

 ボルチモアは南北戦争の舞台にもなったところで,アメリカの国歌もここで生まれたらしい。しかし,現在ではダウンタウンから人口が流出し,中心部のスラム街が大きくなって治安の悪化が進んでいた。私がお世話になった大学は,まさにダウンタウンに位置しており治安が,尋常じゃなく悪かった。

9. 共同研究は初めから嫌な予感がした

 ボスと受け入れ先の連絡がうまく取れておらず,宿泊先もなかった。急遽,ポスドクのアパートメントに身を寄せることになった。このポスドクはDとしておこう。Dはオーストラリア出身のAC/DCに心酔しているポスドクで,音楽の趣味を別にすれば,ダウンアンダー特有のアバウトさがいい感じだった。宿泊先はなんとか確保したが,さらに難題が待ち構えていた。

 受け入れ先のボスが,IDカードの申請を大学にしていなかったので,大学の研究施設にはいれるのは,2週間後だという (治安が悪いので共同研究よりも大学全体のセキュリティーが優先された)。
 こんな馬鹿な話を聞いた後では,何もかも放り出してカナダに帰りたくなった。そこのボスが考えた苦肉の策として,大学病院で働くボランティアの試験を受けてみないか?ということであった。

10. 毎日,「まっとうな職につけ」と言われた

 その試験に受かればミールクーポン付きだという。病院で働くボランティアのほとんどは,定年退職をとうの昔に過ぎたお年寄りであり,病院フロアの掃除が,おもな任務である。最悪なのは,ボランティアとして認識されやすいように,赤いブレザーと白ズボンの着用が義務付けられていたことであった。

 唐突に,試験がはじまった。つい数時間前までバンクーバーにいて,今は見知らぬ土地で,お年寄りに混じってビデオを見ている。しかしこのビデオが終わったあとに,ボランティアになれるかどうかの筆記試験が待ち構えていた。ここでIDカードを取れなかったら大学に入れるのは,2週間後だ。かなり必死に頑張って試験にパスして,晴れて病院のIDカードと赤いジャケットが支給された。

 このような経緯もあって大学から正式なIDを発行してもらうまでは,赤いジャケットを着てフロア清掃に従事し,清掃が終わってから,やっと本来の研究生活がスタートした。

「おまえはまだ若い。ボランティアではなくまっとうな職につけ!」

と,お年寄りに散々言われ,さらに病院の食事は不味く,無料のランチ券はほとんど使用することはなかった。

私は何故,ここにいるのだろうか?

このような日々に追い打ちをかけるように,そこでの実験も,うまくいかなかった。(続く)

Scrivener と Pages の連携はすごい!

いま,ほとんどの文書をScrivenerで書いております。

現在,執筆中のものは,Scrivenerのファイルサイズが1.65 GBです。このファイルに,Webのタグ,論文PDF,作成した原稿・図表がすべて詰め込まれています。動作は非常に軽快で,ワードで書いている時のモッサリ感が全くありません。

Scrivenerの良さについては,このブログでたくさんお伝えしてきましたが,唯一欠点があるのです。

それはワードファイルの扱いです。他のアプリと違って,ワードファイルは一旦取り込んだら,再びワードフォーマットで開くことができないのです。

これとは反対に,イラストレーターのファイルなどはScrivener内でプレビューされますが,クリックすると再びイラレでの編集が可能になります。

ところが,ワードファイルは,変なフォーマットに変換されてしまい,二度とワードフォーマットで開くことができないのです。なので取り込んだワード内の図表は,てんでバラバラに表示されてしまいます。

ここだけは改善してほしかった。。。

本日,何気なく Pages (Macのワープロソフト)のファイルをScrivenerに放り込んだら,変な処理をされずに,ふたたびPagesで開くことが可能でした。これにはすごく感激です!

最終版はPagesでフォーマットして,出版社に送る時にワードファイルで書きだすという操作が可能なのです。

Scrivener内に,表とか挿絵のフォーマットが崩れないPagesの文書があるのは,気持ちが良いですね。

新しいPagesも,買ってみたくなりました。以上,非常に間口のせまいマニアックな情報でした。すみません。

2013-10-20

細菌学の特別講義 (第五限目)

6. はじめに病原細菌ありき
 留学先での研究プロジェクトは,腸管病原性大腸菌の感染実験系を確立することであった。腸管病原性大腸菌と血清型O157に代表される腸管出血性大腸菌は,ともにIII型分泌装置と呼ばれる病原因子排出装置が下痢発症に関与していることが推察されていた。
 III型分泌装置は多くのグラム陰性病原菌において高度に保存されており,その分泌装置を介して菌体外に分泌されるタンパク質(エフェクター)は,多彩な性質を示すことが明らかになりつつあった。
 いくつかのグループで腸管病原性大腸菌の分泌装置とエフェクターの機能について研究が行われていたが,III型分泌装置と病原性の関連についてin vivoで証明したグループはなかった。
 その最大の理由として,ヒトに感染する腸管病原性大腸菌はマウスに感染せず,適当な動物実験系がないことがあげられた。そこでFinlayラボではウサギに感染する腸管病原性大腸菌を用いて,感染実験系を立ち上げることになった。腸管病原性大腸菌の欠損変異株を作製し,その欠損株をウサギに感染させた場合,下痢を発症しなければIII型分泌装置は下痢発症に関与することが証明される。
 もし,病原性に関与しないのであれば,ボスのグラント獲得にも影響することを意味していた。単純な実験であるが,感染実験をおこないIII型分泌装置が病原性に関わることを証明する必要があった。

7. ポスドクとしてのスタンス
 留学先では週に一度,ボスと1対1でのディスカッションをおこなっていた。カナダでの最初の実験をおこなうに当たり,どのような手法で欠損変異株を作製するのかについて,ボスに意見を聞いた。
 その時,ボスが言ったことは今でも覚えている。「アキオ,ポスドクというのは自分自身で,全ての研究計画を立ててやるものだ」と。ボスは感染実験系を確立してほしい。私に要求したのはこれだけで,あとは自分の好きなようにやって良いらしい。そして,実際にそうした。
 月に一度,ラボ全体のプログレスレポートがあったが,私の発表はしどろもどろで話の半分以上は伝わらなかったのではないかと思う。ミーティング後,ディスカッションも満足にできず落ち込んでいるときにボスが私の肩に手をおきながら,「君は英語の勉強をするためにここにきた訳じゃない。だからあんまり気にするな」と励ましてくれたのである。
 留学当初は何もかも慣れないことばかりで,毎日が苦痛であったが,このようなボスの一言は私にとって大きな励みになった。ポスドクのなかにはペースダウンしてカナダの生活をエンジョイするものもいたが,私は他のポスドクが休みを取る土曜日もラボにきて,英語が通じなくて遅れている部分を実験量でカバーした。
 また,ラボの菌株やプラスミドのデータベースを作製したり,コンピューターのトラブルをなおしたり,他のポスドクがやりたくないような雑用を引き受けて,「あいつは英語をまともに話せないけれども,馬鹿ではないらしい」ということをアピールしていった。
 いや,アピールという表現は正確ではなく,日頃,他のポスドクの足手まといになっていたので,私は自分なりのやりかたで彼ら彼女らに本当に恩返しをしたかった。
 海外で,欧米人としての流儀ではなく,日本人としての流儀で,ポスドクとして生きていくことは十分可能だと思う。

2013-10-19

細菌学の特別講義 (第四限目)

4. 転写制御からin vivoの研究へ
 日本で行っていたサルモネラの研究を発展させるべく,Finlay博士の研究室での生活がスタートしようとしていた。少なくとも当初の予定ではそうであった。しかしながら,数人のポスドクが既にサルモネラ研究を行っており,サルモネラよりも腸管病原性大腸菌(enteropathogenic Escherichia coli, 以下EPECと略す)の研究を行って欲しいと,Finlay博士から提案があった。
 EPECは腸管出血性大腸菌(enterohemorrhagic E. coli, 以下EHECと略す)と共通したメカニズムで下痢を発症することが知られている。EHECは病原性が強いので(約10菌数で感染する),多くの研究者はEPECを用いてEHECの下痢発症機構を解明しようとしていた。
 現在ではEPEC,EHECともにIII型分泌装置によって宿主に移行するエフェクターの機能によって下痢を発症することが明らかになっているが,1995年当時,下痢発症機構は謎に包まれていた。
 EPEC/EHECの下痢発症機構を研究するためには,in vivoでの感染実験が必須であるが,EPEC/EHECはマウスなどの齧歯類には下痢を惹起しないことが既に報告されていた(注1)。このような状況で,なんとか動物実験で下痢を起こすようなシステムを立ち上げて欲しいというのが彼の希望であった。
 それまで私は動物実験の経験がほとんどなく,また,このプロジェクトを開始したら相互作用解析の研究から遠のくことを意味していた。

 自分にとって,経験もなく無謀なプロジェクトであったと思う。

 それでも私は日本人としての美徳から,彼のオファーを断ることができずに「はい」と返事をしてしまった。彼は「はい,という意味は日本語でYesなのか?」と聞き返してきた。留学初日でサルモネラ研究をより深く展開するという思いは,EPECというまったく別な研究材料になってしまい,相互作用解析は,in vivo感染実験系の確立というテーマにすりかわってしまった。
 それでも,ある程度の実績を出したら,自分の思った領域に研究を展開していけば良いという楽観的なところから,カナダ留学はスタートした。日本でのEHECによる大規模な食中毒が起きたのは,それから1年後のことである。

5. 留学当初の憂鬱な日々
 ボスの一言でサルモネラから腸管病原性大腸菌へと研究対象が大きく変わってしまったが,晴れてFinlayラボの一員になることができた。
 しかしながら,確実にやらなければならない細々としたことは,津波のように押し寄せてきた。
 私は大学でのセットアップ,妻はアパートメント探しに奔走した。英語がうまく話せないなかで,妻も私も疲労困憊であった。大学ドミトリーの仮住まいが10日ぐらいしたところで,ようやくギリシャ系移民のビッキー宅にお世話になることができた。
 カナダ,バンクーバー周辺の建物は1階部分がベースメントとよばれる作りになっており,半地下状態のような家屋になっている。日当たりが悪いために自分たちでは住まないで賃貸にまわしている場合が多いが,ビッキーのベースメントは日当たりも良く,なによりも美しい海岸に近くにあった。
 なんとか住むところは決まったが,スーパーの買い物でさえ苦労させられた。もちろん英語を流暢に使いこなせればたわいもないことであったが,日常の買い物や銀行の口座開設などで悩んだりすることが多かった。同時期に来たフランスやスエーデンのポスドクたちは,すぐに日常生活に溶け込み,ラボのセットアップも楽しそうにしているのに,私のほうは制限酵素の注文すら思うようにできないでいた。
 試薬を一つ手に入れるのでも,実験室を仕切っているテクニシャンに確認を入れ,試薬を扱っているデパートメントを探し当てなければならない。日本にいれば数分で済むことも,どうして良いのかわからず,数時間を費やしてしまうことが少なくなかった。
 当初はこのような連続で,留学は自分にとって本当に正しい決断であったのか?というところに思考が収束していった。しかし留学全体を通してみれば,Finlayラボに4年間滞在することになり,ラボの最古参の一人になるのだから,人生はわからないものである。

注1: 最近では,EHECの感染系に Germ-free mice (無菌マウス)が使われております。まあでも本来のEHECの定着は,再現できないでしょうね。

2013-10-18

細菌学の特別講義 (第三限目)

このへんから留学の話になります。これから留学を考えている方にオススメします。

3. 1995-1998: カナダ留学
 転写制御の研究で学んだことは,病原細菌は常に病原因子を産生しているのではなく,ある決められたタイミングで,複数の病原因子を同調して産生することである。例えばヒトに感染する病原細菌の多くは,ヒト体温に近い37度で病原因子を産生し,それ以下でもそれ以上でも産生しない。一方,同じ種に属する病原細菌でも,宿主が変われば病原因子発現における温度域も変化する。例えばウサギに感染するある種の病原細菌は,ウサギの体温に近い40度付近で病原因子を産生し,ヒトの体温付近ではまったく産生しない。
 このように病原因子発現の温度域は,病原細菌の宿主特異性を解く一つの答えにもなっている。転写制御の研究ではグローバルな病原因子の振る舞いを学ぶことができたが,感染の最前線にある現象を具体的に理解したかった。すなわち,病原因子と相互作用する宿主側因子を同定することで,感染に関与する宿主側因子を分子レベルで明らかにしたかったのである。
 当時,日本においてもそのような研究は行われていたが,研究者層と言えるほどの発展を見せていなかった。それならば海外のトップレベルの研究機関に赴き,研究のノウハウを一から学んだほうが手っ取り早いのではないかと思い留学を決意した。そこで,病原因子と宿主側因子の相互作用解析を精力的にこなしていた2人の研究者に的を絞って留学計画を立てた。
 一人はJorge Galán博士(現Yale大学教授)で,もう一人はBrett Finlay博士であった。両博士は,今では細菌学の権威となっており,私の研究者評価は間違っていなかったことになる。妻も同行するので,最終的には治安が良いカナダを選択し,Finlay博士のラボがあるブリティッシュ・コロンビア大学に焦点を絞った。
 Finlay博士はスタンフォード大学のStanley Falkow博士のもとで学位を取得後,生まれ故郷のカナダに戻り,研究の拠点を構えたばかりであった。彼は私より2つ年上で,引退間際の大御所のお世話になるよりは,身近なメンターであり続けるような人物のほうが自分にとってふさわしいと考えた。
 北里研究所の先輩からは「指導者としては若すぎる」という批判を頂いていたが,自分の直感を信じることにした。そこでFinlay博士に手紙を送り(当時,E-mailは限られた機関でしか稼働していなかった),じっと待つことにした。ようやくFinlay博士から返事があって,米国微生物学会で会おうという短い内容が添えられていた。
 微生物学会でてっきり彼からインタビューを受けるものだと思い,緊張の連続で,会場があったラスベガスに乗り込んだが,力強く握手された後にOKと言われ,10秒ぐらいで彼は去ってしまった。
 上原記念生命科学財団のフェローシップを獲得していたこともあり,彼としては私の能力がいまひとつでも失うものはあまりなかったのであろう。彼の唐突な感じは私を不安にさせたが,カナダに行くしかないと勝手に決め込んでいた。
 1995年4月16日に妻と私はバンクーバー国際空港に降り立ち,そこでタクシーを捕まえて,ブリティッシュ・コロンビア大学のドミトリーに一時的に身を寄せた。
 それから1998年3月19日までの4年間をカナダで過ごすことになった。

2013-10-17

細菌学の特別講義 (第二限目)

1. 1980年後半:研究のスタート地点でつまずく
 酵母におけるmRNA 3’末端生成の機構に関する論文でなんとか学位を取得し,また,酵母の発現ベクターについては特許取得までこぎ着け,まさにこれから研究が開花しようとする時期であった。しかしながら,真核細胞における転写制御の研究で,これから独立してやっていけるのかという不安も隠しきれなかった。
 当時,オランダのハーグで酵母の国際学会が開催され,今までの研究内容をプレゼンする機会に恵まれた。私にとって初めての国際学会であり,会場で著名な研究者とも出会うことができて,何もかも新鮮であった。
 そのなかでも強烈なオーラを放っていたKevin Struhl博士 (現Harvard Medical Schoolの教授で,今なお転写制御の領域を牽引している)のプレゼンテーションに雷に打たれたようなショックを受け,そのときかなりはっきりと「私はこの領域で生き残れない」と確信した。
 彼のように転写制御の研究を自分なりの視点で切り開いていくことができるのか自問自答し,それは無理だと判断して,暗澹たる気持ちで国際学会を後にしたことを覚えている。
 転写制御研究が未来に繋がっていないのならば,日本の細菌学の源流である北里研究所で,細菌について一から学びなおすのも良いのではないかと思い,30歳を目の前にして研究領域を大きく鞍替えした。
 細菌ならゲノムサイズも小さいし何とかなるだろうという楽天的な気持ちだった。
 結局のところ,競合が激しい転写制御の世界から逃れたかったことも大きな理由であったと思う。

2. 1990年初頭: 転写制御における個人的限界から病原因子そのものへ
 挫折感を抱きながら北里研究所の細菌研究室に入室し,まっさらの状態で病原細菌の研究を開始することになった。当時の指導者は檀原宏文先生で,細菌を題材にした初めての研究テーマは,サルモネラのプラスミド性病原遺伝子における転写制御の解析であった。
 酵母で行ってきた研究領域に近いところから細菌の病原性発揮のメカニズムを解析しようというのが当時の私の考えであった。真核生物では一本のmRNAにコードされる遺伝子は一般的に一つであるが,細菌では一本のmRNAに複数の遺伝子が連座している場合が多く,ポリシストロニックなRNAを構成している。
 また,細菌のmRNAはキャップ構造やポリA構造も持たないために非常に不安定であり,RNA研究は時間との勝負であった。 このような違いから解析に手間取ったが,細菌学会の関東支部総会でプラスミド上に存在するSpvRと呼ばれる正の調節因子について,その制御機構について発表する機会を得た。
 しかしながら,私の研究内容はなかなか受け入れてもらえなかったのである。SpvRが自身のプロモーター領域にも作用し,自己の転写活性をあげるという作業仮説を提唱したが,最初に発表した時点ではSpvRの抑制機構については不明であった。
 当然, 学会の重鎮から反論があり,「正の調節因子であるSpvRが自身のプロモーターに作用したら,転写が止まらなくなる。だから君の研究は論理的におかしい」というものであった。反応は予想できたが,いざ学会の重鎮にこのような発言をされると私の行っている研究が間違っているのではないかという空気が流れ,新しく入った学会はひどく居心地が悪かった。
 そもそも論理的に考えて生命現象が理解できるのなら,研究という領域はひどくつまらないものになっていたはずだ。転写はDNA上のプロモーターと呼ばれる領域に,RNAポリメラーゼが結合することで開始され,mRNAを合成していく。プロモーター領域にはRNAポリメラーゼの他に,転写の活性化を促進するタンパク質,あるいは抑制するタンパク質が結合することで,タンパク質の合成を転写レベルで調節している。
 論理的に破綻しているようにも見えるSpvRの転写はどのように調節されているのであろうか? SpvRは下流に存在しているポリシストロニックなspvABCD RNA (spvA, spvB, spvC, spvD遺伝子が一つのmRNA上にコードされている)の転写を正に調節している。実は最上流に位置するSpvAは負の調節因子であり,正の調節因子であるSpvRはSpvAによって負のフィードバックを受けることで,過剰な転写が進行しないように調節されていたのである。
 こうしてSpvRの制御における謎は自分自身で解くことができたが,転写調節の研究をいくらやっても感染現象には辿り着けないのではという思いが,次第に強くなっていった。
 今でこそトランスクリプトーム解析が花盛りで,細菌の病原性解析に大きく貢献しているが,当時の私は放射性物質で標識されたプローブを使ったmRNA解析に辟易していたのである。
 ラジオアイソトープ施設のなかにいたのでは,細菌の病原性解析にせまれない。そこから出て行く必要があると思い,留学を決意した。
 留学先はカナダ,バンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア大学でBrett Finlay博士の研究室に身を寄せることになった。(続く)

2013-10-12

細菌学の特別講義 (第一限目)

【プロローグ】

 当時の学生の大半がそうであったように,就職は活動して内定を得るものではなく,所属研究室の指導教官の推薦に依存しているところが大きかった。 学生時代に所属していた研究室の指導教官は大村智先生で,当時,北里研究所の副所長を兼任されていた。私は大村先生の推薦で北里研究所を受けることになった。面接試験の会場で理事から,「現在,興味のあることは何ですか」との質問があり,研究のことについて一気にまくしたてたが,彼が聞きたかったのは趣味とか時事問題とかそういった事項についてであった。それでも何とか面接試験にパスして,日本の細菌学発祥の地,北里研究所で修士卒の研究者として働くことになった。

 北里研究所はワクチンも製造しており,最初に与えられたテーマは,酵母を宿主とする発現ベクターの開発であった。 細胞内で自己複製が可能な環状のDNAはプラスミドと呼ばれており,そのなかでも外来タンパク質の産生に特化したものは,発現ベクターと定義されている。私の研究テーマをもう少し詳しく説明すると,酵母内でB型肝炎ウイルスの表面抗原の産生を可能とする発現ベクターの開発であった。 当時,B型肝炎ワクチンの製造は,肝炎に感染した患者血漿からウイルスの表面抗原を精製して製造していた。大量調製が困難であることと,バイオハザードの問題から,多くの企業が肝炎ワクチン製造の新たな基盤技術の確立にしのぎを削っていた。

 酵母は高等真核細胞と多くの点で共通しており,宿主細胞内で修飾を受けるウイルス表面抗原などの大量精製に適していた。発現ベクターは外来遺伝子を効率よく発現させるために,プロモーターと呼ばれるRNAポリメラーゼの結合領域に改良を加えたり,mRNAの安定性を保つような工夫がなされている。私はmRNAの安定性に影響を及ぼす3’末端生成の仕組みについて,興味を持つようになった。高等真核生物や酵母では長い前駆体RNAが合成されたあとに3’末端側の特異的な部位で切断され,切断部位にポリAが付加されることでmRNAの3’末端が生成する。酵母においてRNA切断とその後に起きるポリA付加に必要な配列は26塩基内に存在することを見いだし,深沢俊夫先生(現慶應大学医学部名誉教授)のご指導のもとで,EMBO Journalという雑誌に投稿した。これら一連の研究で博士号を取得したが,研究者人生が順風満帆であったのなら,今回の 「細菌学の特別講義」はなかったと思う。

 少々前書きが長くなったが,ここ十数年の間に細菌学におけるパラダイムシフトが起きたことは,事実である。パラダイムシフトの中心にあったのは,III型分泌装置とそれによって宿主に移行するエフェクターの発見である(少々断定的ですがご勘弁を)。この特殊な分泌装置の発見は,研究領域にも大きな影響を与えながら病原因子論の根幹を塗りかえていった。赤痢菌やサルモネラの宿主細胞への侵入機構は長らく不明であったが,ここ十数年のエフェクター研究の進展により解明された。私の研究もこのようなパラダイムシフトの波に呑まれながら,なんとか波間を漂っているのが現状である。

 これから解説していく「細菌学の特別講義」では,細菌学の歴史について論ずるつもりはない。ここ十数年の間に起きた病原因子論の大きな移り変わりのなかで,細菌学者は何を掴むことができたのかを,いくつかの連載にわけて紡いでいきたいと思う。たまたま私は,細菌学のパラダイムシフトがおきる直前にこの領域に足を踏み入れ,留学時代には分子細胞生物学的な手法で感染現象を解明していくアプローチの重要性を痛感した。

 極めて個人的な視点から,細菌学の領域で何が起きたのかを,少し時間を遡って時系列的に述べていきたい。(二限目に続く)

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注記:関東化学に掲載されたものに加筆訂正しました。

2013-10-11

Singapore International Pre-Graduate Award (SIPGA)

ご無沙汰しております。

Singapore International Pre-Graduate Awardというのがあって,M2の西村君が応募したら,見事,短期留学につくことができました。

昨年の暮れにこの話を聞いた時,応募してみれば〜,ぐらいの軽い気持ちで了承したのですが,無事にパスしました。

このプログラムは主に修士学生を対象にしておりシンガポールの一流研究機関で研究をおこなうことで,いろんなことを学ぶというものです。

また留学先から,給与みたいなものが支給されるので,観光ビザではなく就労ビザを取得する必要がありました。宿泊先の選定とか,そういったものを急いでそろえて,今ごろは成田空港でドキドキしているはずです。

修士2年の重要な時ですが,彼の人生にとっては,もっと大きな賭けかもしれません。それに,何が重要で何が重要でないかは,長い目で見た時に,大きく変わります。

3ヶ月後にいろんなみやげ話をもってくるでしょう。

体調に気をつけて,頑張ってくださいね。


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