2013-08-13

僕も若手コロッセウムのことをまじめに考えてみた



若手コロッセウムから,無事,生還しました。

どのような会であったのかは,発起人である堀口センセのブログを,ご覧ください。連動企画というわけで,僕もこの会の将来性について考えてみました。

その前にエピソードを一つ。
僕が第二回を担当したときのメール内容です。

以下メール内容 (原文ママ)
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第2回の「細菌学・若手コロッセウム」が下記日時で開催されます。 是非ともご参加くださるようお願いいたします。

私は細菌学会に所属しておりますが,この学会で育った若手研究者が,他学会の若手研究者とどう勝負するのか,激しくぶつけてみたいと思います。もちろん,負けてもかまいません。ひるまない,という姿勢が重要だと思います。

他領域からの素朴な疑問。究極的には,「そんなことをして何が分かるのか?」「何が知りたいのか?」,という問いかけは重要だと思います。異分野の研究者がお互いにノーガードで戦うことによって,闘いの果てに見えてくるものがあるはずです。

「若手コロッセウム」という命名は,大阪大学の堀口安彦先生です。「若手ピグマリオン」のほうがマイルドでいいんじゃないかと,私は提案しましたが,「これでいくんじゃ」と本人の意気込みがひしひしと伝わってきました。ということで,真剣勝負,「若手コロッセウム」という命名は,強い若手研究者を育成していくというあらわれが感じられ,これで良かったと思います。

湘南国際村のまわりに何もありません。いったん入ったら抜け出すことは困難です(笑)。皆でリトリートし,3日間をサイエンスの話のみで燃焼しませんか。

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ということで,今後は「細菌学・若手コロッセウム」の広報活動を展開していきたいと思います。もちろん,細菌学会以外にも積極的に広報活動していきたいと思います。早速,帯広畜産大学の嘉糠さん(現慈恵医科大学)から,「俺たちはノーガードで行くぜ」というメールを頂き,「異分野の研究者がお互いにノーガードで戦う」というルール?を急遽作成しました。

「プライドを賭けて」とかよく使われますが,そういったものは,所詮,くだらない見栄であったり,自分が弱いためのガードであったり,弱さを隠すための防御反応であったりしますが,己の研究領域を曝け出し,それをお互いに尊重し合うようなリトリートにしていきたいと思います。
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というようなメールでした。なつかしいです。
2008年のときの自分は,明らかに突破力がありましたね。

この会は発足の以来,「細菌(カビふくむ)にたずさわるものなら所属学会は問わない」という不問律があります。細菌学会の支援下にありながら,少しだけ距離をおいたかたちで運営されてきました。

しかし,公のスポンサーをつけてこの会を安定させるためには「きちんとした母体を表明する必要性」もありました。この意見は,ワーキンググループのメンバーであった丸山史人先生から強く出されました。

当時,細菌学会の理事であった僕は,細菌学会HPに「若手研究者育成のための支援プログラムについて」という項目で,取り付けました。

そのときは「丸山君,面倒くせーな」ぐらいにしか思っていなかったのですが,実際に「若手の参加費・交通費」(八王子のとき)が,全てロハになったときには驚きました。

ワーキンググループは,僕が考えていたより会のことを熟知しており,またその運営もずば抜けていたのです。なので,この会に出席する必要はなくなったと思いました。

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今回は,桑江准教授が「研究に集中したい!」ということで,そう重くもない腰を持ち上げたのです。修士の学生さん2名に,行ってこい! で送り出すのは,指導者的に問題アリかと思ったのです。

2年ぶりにこの会に出席したのですが,すごく洗練されていましたね。他学会の若手もこの会に十分に馴染んでいたのが,印象的でした。
女性の参加者も多く,細菌学会ではありえない光景でした。もちろん,内容もマンネリ化することもなく新鮮でした。

この光景を,細菌学会の理事の先生にも,伝えたいと思いました。細菌学会には将来計画委員会があるのですが,若手コロッセウムから学ぶべきところは,たくさんあるはずです。

細菌学会のワークショップ規定では,発表者が「会員であること」の条件が必要であったりします(たぶん)。学会は会員会費でなりたっているので,基本原則だと思います。

しかし,たとえば,若手をエンカレッジするようなワークショップに限っては「他学会との融合プログラム」と称し,あまり会員というキマリに縛られないプログラム立案も可能ではないかと思います。

今の細菌学若手コロッセウムは,ほんとうに充実しております。そういった楽しさを,母体にいる若手会員にも知ってほしいと思います。

そこを有機的に繋いでいく接点は,ワークショップにあると思います。

細菌学会の将来は,すでに若手コロッセウムで,開花しているのです。

前田さん,西村君

楽しかった3日間でした。

若手コロッセウムのFacebookはコチラです。
近日中にその激闘ぶりが,公開されるでしょう。

2013-08-05

若手コロッセウム

もうすぐ若手コロッセウム@広島です。

この会がどのようにしてできたのかは,ココに書いたとおりです。

この会の大きな特色は,日本細菌学会の支援を受けていながら,細菌学会会員以外の参加者・発表者も受け入れていることです。この独立性が,若手コロッセウムの大きな特色であると思います。

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僕のラボにきた学生さんは,基本的にこの会に参加してもらいます。修士1年は聴講のみでOKですが,修士2年からは発表してもらいます。

今回は前田さんと西村君が出席します。僕は引率というかたちで出席です。この会には思い入れがありますので,久々に参加できるのは,とても嬉しいです。

学生さんは,せっかくの大部屋ですから,思う存分ディスカッションして,刺激を味わってほしいです。

そして,発表者の西村君(M2)は,細菌学会での重要な一歩ですから,がつんときめて下さい。何事も最初が肝心です。

良いプレゼンは,次の良いプレゼンに繋がっていきます。

発表のない前田さんは,その代わりに質問してください。

今回は,群馬大学の富田先生のところへ就職した久留島君も参加です。

そして,僕の相部屋は,堀口先生です。このへんは,定番ですね。


2013-08-03

パラオ

 娘がサカナと一緒に泳ぎたい! というので,パラオで夏季休暇を過ごしました。

夕日がとても綺麗でした。

第一次大戦後のパリ講和会議によって,パラオは日本の委任統治領となった時代があります。やがてABCD包囲網によって,日本に対する経済制裁が長期化し,1941年8月に石油の輸入が完全に途絶えます。
 日本は豊富な石油資源をもとめて,南洋の島々(オランダの植民地であった)へ活路を見出そうとします。その結果,間違った選択として,第二次世界大戦がはじまります。南国の楽園にしか見えないパラオも,日本の要衝として激戦地となりました。

 マングローブでおおわれた海岸のちかくに,旧日本軍の水上戦闘機をみることができました。海面下にある機体の損傷は激しいのですが,プロペラ部分はいまでも錆びつかず輝いていたのが,印象的でした。

旧日本軍が水上戦闘機の格納庫としていた天然の洞窟

 パラオ滞在中に「海賊とよばれた男」を読破しました。百田尚樹さんの著書です。読み応えがありました。
 「日本が石油の完全禁輸状態に対して,石油資源をいかに確保するのか?」という流れで,第二次世界大戦を俯瞰したドキュメンタリー小説です。また,この本にでてくる主人公は,出光興産の創業者・出光佐三をモデルにしております。戦後の厳しい制裁のなかで,今度はどのように「平和的に」石油を確保していくのかについて,出光佐三の選択がダイナミックに描かれています。こんな日本人がいたのかと,驚きました。まさに,男のなかの男です。

 さて,話はパラオにもどります。パラオの人たちはとても温厚で,リラックスした休暇をおくることができました。僕は,本を読んで,日記を書き続け,宿題の原稿をこなし,ほとんどインターネットにたよることなく過ごしました。
 娘のほうはプールとシュノーケリング三昧の日々を過ごしました。僕は,毎日,地元のレッドルースターというビールを飲んでいたのですが,帰国した時には,体脂肪が10%から8.6%になっていました。シュノーケルとフィンをつけた娘になかなか追いつけなくて,日々の終わりはいつもグッタリでした。無駄な脂肪も一気におちた休暇となりました。

 あっというまに8月ですが,充電完了です。
 
 さあこれから,また一踏ん張りします!


スコール。だれもいないプールで,ひたすら泳ぎまわる娘。

シュノーケリング!