2011-05-24

第5回細菌学・若手コロッセウム

今回の闘いの場所はこちらです。
詳細は順次アップされますので,
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2011-05-22

草食系アスリートを目指して


1年ほど前から玄米食,野菜,味噌,海草類などを中心とした食事に変えました。その一方で肉,魚,卵,油,牛乳,砂糖はなるべく摂らないようにしました。一般的にマクロビと呼ばれる食事のスタイルです。まあしかし,皆で飲みにでかけるときには「ハレの日」ととらえ,出されたものを有り難く頂いております。

僕的に悩んできたことがありました。40後半になって,ブラジリアン柔術で67キロ級のパワーを維持していくことが困難になってきたのです。そこで1階級落とすことに決めました。僕の場合,通常70-71キロぐらいで試合前に67キロに減量するのですが,61キロまで落としてプルーマ級を主戦場にすることにしました。そこで食事を変えて体質改善です。

最初の1ヶ月は,とにかく肉が食べたいという気持ちでいっぱいでした。パワーもでなくて,ジムにいってもフルボッコの世界です。1ヶ月を超えたところで肉食の願望は少なくなり,なんとか行けるんじゃないかという手応えをつかみかけました。そんなときに,ニーオンザベリーを無理矢理はじき返そうとして,肋骨を折ってしまいました。「肉を食べていないからこんなことになるのか」と,後ろ向きな気持ちになりかけました。しかし体重は順調に下がっていったので,ともかく続けることにしました。骨が折れていたので,胸を固定して走るぐらいしかできませんでした。iPhoneにはGPS機能がついているのでランニング用のアプリを入れました。走った距離,タイムなどがリアルタイムに表示されるので,しばらくはランナーしての生活を送りました。走るのが楽しくてランナーという趣味も良いかなと思いました。

しかし,僕の還るところは柔術でした。

骨折して結果的に走り込みをしたので(笑),食事療法を開始して半年もしないうちに,体重が61キロまで下がりました。こんな食事ではどこまでも下がってしまうのでは?という恐怖に襲われましたが,結局,60.5キロで下げ止まりました。ここから徐々に体重がアップしてきて,現在は62-63キロぐらいに落ちついています。これならプルーマ級にすぐに落とせるはずです。胸囲や腕周りは前よりも細くなりましたが,以前より動けるようになりました。これまでスパーリング中によく足をつったのですが,これがほとんどなくなりました。おそらく乳酸の蓄積量が以前と比べると減ったのかもしれません。筋肉も減りましたからエネルギー効率もアップしたはずです。

僕は白金にある大学から青山方面に向かい神宮球場周辺を走って,青山陸橋の下をくぐって西麻布に抜けるランニングコースが気に入っています。その陸橋から近いところに現在,出稽古を行っているTFAがあります。紫帯までの道のりは長いですが,少しでも近づきたいと思います。


2011-05-17

腸管出血性大腸菌:感染ルートについて


腸管出血性大腸菌(EHEC)感染が世界的に知られるようになったのは,1982年に米国オレゴン州とミシガン州で同時に起きた集団食中毒事件に端を発している。これらのEHEC感染は,同じファーストフードチェーン店のハンバーガーを喫食したことで起きた。1993年にはハンバーガーによるEHEC食中毒で,シアトル近隣で700人以上の感染者を出した。EHECによる食中毒の特徴として,生産・流通システムが発達している先進国で発生する場合が多く,上記事例ではハンバーガーチェーン店の流通網を通じて全国に拡散していった。

EHECによる食中毒は米国,カナダ,英国で多数報告されている。我が国でのEHEC感染による最初の死亡例は,1990年に埼玉県浦和市で起きた集団感染においてである。1996年にはEHEC感染による世界的に類を見ない大規模食中毒事件が我が国で発生した。翌年1997年には全国での感染例が700人弱に減少し,以後,EHEC感染による大流行は起きていない。しかしながら2008年のサーベイランスではEHEC感染症患者および無症状病原体保有者が4,330例報告され(国立感染症研究所感染症情報センター「病原微生物検出情報月報」),いったん下火になったEHEC感染者数は近年になって徐々に増加の傾向にある。

EHECは羊や豚から検出される例もあるが,一般的に牛が自然界における保有動物(reservoir)である。EHECは3週齢以上の牛に感染しても発症しないが,大腸に定着したEHECは増殖を繰り返し,糞便中に100-1,000,000 CFU/gもの菌を排出するために,汚染源を拡大させる要因となっている。2000年の米国のサーベイランスでは,検査した牛(計327頭)の糞便から28%という高率でEHECが検出され,米国における牛とその周辺環境のEHEC汚染は深刻な数字になっている。EHECが牛糞便中から排出されるサイクルは,季節によって大きく変動する。英国でのサーベイランスによると,糞便中のEHEC検出率は春先には38%に上昇するが,逆に冬場では4.8%に減少しており,カナダとオランダで実施されたサーベイランスでも同様な結果が得られている。EHECによる食中毒は夏場に向かって増加傾向にあり,保有動物からのEHECの排出サイクルと一致した傾向にある。このような背景からEHEC食中毒の制御は,保有動物である牛からいかにEHECを排除していくのかが課題となっている。

EHECによる食中毒は汚染した牛のひき肉や乳製品を使用した料理で加熱が不十分な場合に起きるが,乾燥サラミやソーセージ等からの感染例の報告もなされている。通常の細菌が増殖しにくい酸性度の高いヨーグルトやアップルサイダーからの感染例も報告されている。EHECは最低10菌数でヒトに感染を成立させることが知られているが,これは胃酸の攻撃に曝されても殺菌されない酸耐性をあらかじめ獲得しているからである。少ない菌数で感染が成立するために,湖での水泳による感染例の報告や二次感染者を容易に出すのがEHEC感染の特徴である。

2011-05-16

O111 腸管出血性大腸菌について


今回,ユッケを喫食したことによる血清型 O111 腸管出血性大腸菌の感染例が確認された。多くの研究者が意外に感じたのは,O111による重症化であろう。感染者のうち15%近くが重症化しており,死亡者もだした。

私もニュースのインタビューに答えた。その時点(5月6日)では血清型O157とO111の病原性はどちらが高いのかについて,さらなる解析が必要であること,また,今回の事件では菌数が多かったことなどを可能性として述べるにとどまった。

Arch Intern Med. (2010, 170(18):1656-1663)に掲載された論文 ”Hemolytic Uremic Syndrome After an Escherichia coli O111 Outbreak” によると,2008年に米国オクラホマでおきたO111 腸管出血性大腸菌の感染事例では,341例の感染者(疑い例も含む)のなかでHUSに進展したケースは26例であった。この事例では性差は認められなかった(男性12例,女性14例)。HUS 26例の内訳は以下のとおりである。

年齢  発症例(%)
0-4          4 (15.4%) 
5-9          2 (7.7%) 
10-17     5 (19.2%) 
18-59     3 (11.5%) 
60          12 (46.2%) 

血清型O157の感染では5歳以下あるいは高齢者に発症するケースが多いのが特徴であるが,我が国と同様にオクラホマの感染例においても10-17歳においてHUS発症例が多かったことが挙げられる。ちなみに上記HUSの発症年齢の中央値は56.5歳であった。

これだけで結論づけるのは早計であるが,血清型O111はO157よりも幅広い年齢層にHUSを発症させる病原性を獲得しているのかもしれない。それを調べるためにはO157とO111のゲノム間の比較解析が必要となる。ゲノム比較解析で差異が認められれば,特定遺伝子について変異株作製,感染実験による比較解析へと研究が進展するであろう。腸管出血性大腸菌については適当な感染モデル系がなく難航しそうであるが,培養細胞を用いた感染系は利用可能である(限界があるが)。

1996年におきた我が国のEHECのアウトブレイクでは,多くの研究者が感染制御のために立ち上がった。私もその一人である。しかし結局のところ,我々は何をアウトプットしてきたのだろうか? 我々のグループではEHECの感染制御のために,Ⅲ型分泌装置阻害剤の研究を行ってきた。しかしながら実際のアプリケーションのレベルには達していない。10年研究を行ってきて,ここまでこれたが,一般の方々からは10年たって何をやっているのか?と思われるかもしれない。自分の選択肢は間違ってなかったと信じているが,血清型が変わっただけで,これまでの学問的蓄積が活かされない歯がゆさを感じている。






2011-05-05

いざ鎌倉へ

我が家のゴールデンウィークは普段なら実家の福島の過ごすのですが,原発の影響もあって今回は東京で過ごしています。昨日は娘がヒマそうにしているので鎌倉にでかけました。当初の計画では江ノ島水族館に行く予定だったのですが,江ノ電が激混みでした。そこで急遽予定を変更して由比ヶ浜に出かけました。小学生と海に行って「海に入るな」というのは無理な話で,案の定すごいはしゃぎようでした。
海から出た後はSeedless Barで生ビールを楽しみました。ここのガーリックピザは絶品で,ビールがすすみます。レストランから海を眺めることができるので曇っている日でも,楽しむことができます。本来なら生ビール2杯目に突入するところですが,父親の威厳を保つためにコーヒーにしました。





ランチをすませた後,由比ヶ浜からゆっくり歩いて神社にお参りにいきました。たくさんの参拝客で賑わっていました。



娘と一緒に気の利いたものを食べてから帰りたかったのですが,あまりの人の多さに自宅に戻りました。着替えた後,近所の野沢屋にでかけ,肉野菜定食,餃子,ビールを注文。昼から晩までビールばかりでしたがたまには良いですね。普段は草食系ですが,肉野菜,おいしかったです。


2011-05-03

出稽古

メタボ対策ではじめた総合格闘技ジムもかれこれ7年目に突入。ジムでは主にブラジリアン柔術を習っております。最近,力を抜くことの重要性がやっとわかりかけてきました。しかし,その感覚は精妙で「集中的に柔術な動きをマスターしないとそれを逃してしまうことになるかもしれない」と直感しました。そこで柔術を専門に教えている「トライフォース青山(TFA)」に2ヶ月間お世話になることにしました。

本日もジム生で溢れ,対戦相手がたくさんいるのでこれまで習ってきた技がどこまで通用するのか,またトライフォースの洗練された動きをどこまで取り入れられるのかが,今回の課題です。2ヶ月間で違った相手50人と対戦することが目標。本日も10人ぐらいと対戦しましたが,10人いれば10通りの戦い方を学ぶことができます。僕は下から攻めるのが好きなので,クローズドガードを割られたときの移行技として「デラヒーバ」をよく使うのですが,このへんの磨きもかけてみたいと思います。

歩くように柔術をするのが,最終的に行き着くところです。そのためには日常生活の改善も必要であり,柔術は僕にとってスポーツではなく「武道」であると思っています。

このような機会を与えて下さいましたTFA代表の石川祐樹先生に感謝です。また今回の出稽古を積極的に勧めて下さいました柔術マスターである田村一聖選手にも感謝です。田村選手は「良いテクニックがあったら教えて欲しい」といって送り出してくれました。2ヶ月間TFAで学んで次のステップに繋げていきたいと思います。


稽古が終わったあと,練習生の皆さんがばしっとスーツを着て家路にかえる風景はすごいと思いました。