2008-02-20

迷路

妻が仕事の週末は,娘と家にいる場合が多い。俺は色々とやりたいことがあるわけ。しかーし,「お父さん,お絵描きしよう」と言われる。俺はかきたくないわけ。突然,思いついたのは迷路。迷路を書けば,こっちの時間はできる。そうだ迷路を書こう! 最初は単純な迷路でも,こっちに有利に展開。しかし娘も迷路に慣れてくる。しかも,より複雑系に挑戦したいらしい。ということで分岐をどんどん増やしていく。トラップも巧妙に設定。マンデルブローのような迷路をいくつか繋げて完成。「もっと迷路やろうよ」といわれ,軽く2時間ぐらいが経過してしまう。こういった休日が増えてきた。迷路作りにこっちが飽きてきた。面倒くさいのでエクセルの力を借りる。今度は数遊びだ。何のことはない10X10マスを作ってプリントアウトして,これに数字を100まで書かせるだけ。でも,娘は100まで書けたと言う達成感で,案外喜んでいる。しかし,数遊びも飽きてきたこのごろ。

育児と言うよりは,より体力を温存できるかに休日はかかってくる。ある日,もっと良いことを,ひらめいた。それは俺がすっごく嫌いだったドリル。あれを買うことにした。意外にも娘は,すごく楽しそうにドリル,特に数遊びのドリルをこなしている。ドリルもカラフルになってステップアップごとにシールを張ったり,子供の集中力が途切れないように作られている。

ということで,俺が当時毛嫌いしていたドリルに救われることになったわけ。ドリルも勉強も嫌いだった。でも,理科は好きだった。そういえば俺が小学校の頃,地球の石油資源は約30-40年でなくなりますと,こども科学新聞に載っていたが,なくなっていない。恐竜のしっぽに石を落とすと,痛みを脳が認識するまで何十秒もかかりますとか書かれていたが,すごい時代だった。

あのような時代に生まれた俺が,今の若者とサイエンスの話をしているというのも不思議な感じがします。

2008-02-18

限界

大学人になって,研究・教育の両方にたずさわるようになり,かれこれ7年。他人に何かを教えることの難しさを痛感した7年でもあった。FD(ファカルティ・ディベロップメント)について大学で様々な取り組みがなされているが,また,常に努力していくことは必要であるが,自分としてはピンとこない部分もある。

誤解を恐れずにいうと,教育には限界がある。ヒトは指導されて育つものではなく,自発的に開花して育っていく,ものだ。私は肥やしのような存在で,それ以上の存在にはなれない。「○○先生のご指導のおかげでここまできました」とか耳にするが,それはウソだ。あくまで自分の意志でそこまでたどり着いたに過ぎない。他人を育てることは,できない。

研究の思想・自分の熱意をインスパイアーすることは可能であると信じている。しかし,そこにも感受性という壁が立ち塞がる。感受性,それは天性に近いものだと思う。幼少期にどれだけ親が伸ばせるのか?そこにかかっている。難しい試験を突破して,皆,ここにいるけれども,それは学力を保証しているものであって,筆記試験で感受性を計ることはできない。感受性がなければ,よりよい研究はできない。言い換えれば,論文をどんなに読んでも,また,机上の勉強がいくらできても研究力は保証されない。一流と二流の境目は,感受性にかかっている。自分の行っている研究が感染現象のどの部分を解明しようとしているのか,感受性をたくましくて,ありありと掴み取る。眼に見えない事象に思いを馳せる。それは感受性によるものだ。研究のセンスも感受性によるものだ。


感受性は天性に近い。しかし感受性も非常な努力を積み重ねることで,少しずつ拡張していくことは可能であると思う。

教育には限界があるが,自分で伸びようとする意思,には限界がない。

自分でハードルの高さを少しずつ高くしていく。

自分の限界を少しずつ高めていくことは,可能だ。

2008-02-17

9ヶ月と愚者

Title: Enteropathogenic Escherichia coli translocated intimin
receptor, Tir, requires a specific chaperone for stable secretion
Author(s): Abe A, de Grado M, Pfuetzner RA, Sanchez-SanMartin C,
DeVinney R, Puente JL, Strynadka NCJ, Finlay BB
Source: MOLECULAR MICROBIOLOGY 33 (6): 1162-1175 SEP 1999
Document Type: Article
Language: English
Cited References: 57 Times Cited: 68

留学時代の最後の9ヶ月。本来ならJEMに出したEPECの続きの研究をポスドクと一緒にやるはずであったが,ちょっとウマがあわず,俺は一人でやるからなと自分の時間で研究しました。9ヶ月でできる仕事にポイントを当てると,当時,エフェクターと特異的に結合するシャペロンについて,あまり知られていなかったので,そこを突き詰めてみようと思いました。俺的には期限を最優先したあまりに,はじめから論文になるようなテーマをチョイスしたという後ろめたさもありました。しかし帰国後は,何としても独立したかった。そのためにはFirstの論文が一報でもよけいに欲しかったのです。それに論文数が少なければ,「4年間,随分,長いバケーションだったじゃん」と嫌みを言われるのがオチですから。1999年3月19日に日本に戻ったときには,上記論文はサブミットした段階でしたので不安でしたが,追加実験もなく運良くアクセプトされました。

実は,シャペロンに関する研究は留学先のメインフレームではなかったのですが,シャペロンCesTについてはその後もブレットとナンシーの共同研究で精力的に研究が行われ,結晶構造解析にてかなりの部分が明らかになりました。結果的にはその後のエフェクター特異的シャぺロンの研究に貢献できたと思っていますが,1年と半年あったら間違いなく違うテーマを選んでいたと思います。

任期制だと,どうも研究のスタンスがセコくなってしまいますが(論文数が重要,という意味で),自分たちの研究で感染現象の重要な部分がバーンと解明され,目の前がぱっと明るくなるような研究をしていきたいですね。すごい研究内容でも,何でこんなこと今まで知らなかったの? と思う時が良くあります。答えを知ってしまえばすごくシンプル。だけど,皆,知らなかった。知らないと言う連帯感。そういった負の連帯感は意外にも強いものです。

実は,俺は他人から親しみを込めて「馬鹿ですね」と言われるのが好きなのです。タロットカードでも,THE FOOL(愚者)のカードは,変化や柔軟さ、これから新たなことにチャレンジする,それに向かって強く前進するという意味があります。右脇には犬が吠えています。犬の解釈は様々ですが(カードの意味はその時の感覚によって変わります),崖に向かって一歩踏み出す愚者に対して,「おいおいそれ以上進んだら,崖から落ちて死んでしまうよ。お前は馬鹿か?」と吠え立てているようでもあります。この場合,犬は一般大衆の反応(ごく一般的な意見)と読むことも可能です。しかし,俺の場合,タロットカードのような「愚者」でありたいと思います。ある意味,他人から見れば,馬鹿な研究,しかしこれは知識における負の連帯感を破る研究かもしれません。ということでこれからも愚者であり続けたいですね。

笑う前に笑われろです。

2008-02-12

赤い帽子

俺は頻繁に赤い帽子(ベースボールキャップ)をかぶっています。帽子には紺色でA のイニシャルがあります。もちろん,AbeのAではありません。俺はだいぶカッコいいですが,そこまでナルシス入っていません。ATHLETAというブランドの帽子なので「A」のイニシャルなのでしょう。恵比寿三越にはATHLETAを売っているお店があります。お店のお兄さんがその帽子を持ってディスプレイの準備をしているときに,後ろからばっと取り上げました。お兄さんは一瞬唖然としましたが,俺だと知って(顔見知りなので),「何するんですか。びっくりしたじゃないですか」と。。。「ごめんね。これ買うからさ」と。

ということでこれが俺と赤い帽子との出会いです。
ちなみにオレンジ色の帽子は,スペイン坂にあるムラサキスポーツで買いました。
ちなみに緑色の「レッドソックス」の帽子はボストン土産に永松からもらいました。「聖パトリックの祝日」に選手たちが着用するレアな帽子です。

ということで今日は「帽子の日」なので帽子の話をしました。というのはウソで,何故,赤い帽子なのか?と良く聞かれますので。。。ま,答えにはなっていませんが。



2008-02-08

脳・再考とこれからの方向

本日,脳のマッピングの強化が総合格闘技に及ぼす効果を検証するために,出稽古にいきました。やはり技のイメージが想起される場所を一つに絞ってスパーリングした方が,技のスピードが違うことが判明しました。今日は強かったです。俺が。

ということで,こういったことをさらに研究に応用していきたいと思います。「最初から,研究に使えばいいじゃん」という意見もあるでしょう。まあでも,実際に自分の体で検証できる総合格闘技系のほうが,痛さもあって,こっちのほうがリアリティーがあるのです。研究脳のほうは,より緻密な戦略が必要だと思うのです。ということで日々,深化していきたいと思います。

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現在,感染免疫関連の研究を行っています。なんで感染免疫かと言うと,うちらの追いかけている病原因子が免疫系に作用することが色々と解ってきたからです(もちろん,免疫系に直接作用しないエフェクターも追いかけていますが)。風まかせではなく,ある病原因子を追いかけていったらいわゆる免疫という領域に,いつの間にか踏み込んでいたのです。俺的には免疫は面倒くさいというか,何かわけの解らない言語で,俺は絶対やだなあ,あんな哲学みたいな世界は。。。と思っていたのですが,やっぱ,人間,逃げていることからは,いつかツケを払うのです。ということでスタッフの永松に色々と教えてもらっている段階です。それで思ったのは,他人の土俵の感染免疫はやらなくて良いと言うことです。他人の言語で理解するのではなく自分の言葉で理解する。感染免疫も所詮,病原因子と宿主側因子の相互作用によってトリガーされる高次な現象であるから,今の自分のスタンスでそれを極めることは可能であると思います。まあ,しかし,1年前の自分には考えられなかったですね。こんな世界に入るとは思っていなかったです。だから研究は面白いのです。そして感染免疫が不得手だから飛び込まないのでは,追いつめた病原因子の機能を,取り逃がすことになります。

10年ほど前,病原因子の機能解析は,分子細胞生物学者に全部おいしいところをさらわれてしまった。「あれ,こいつ細菌学者だっけ。いや,全然違うな」みたいな。ああいう思いは一度でたくさん。だから感染免疫。気負うことなくやれば良い。俺は行くぜ。失うものは何もないのだから。どんな領域であろうとも,病原因子の機能をどこまでも追いかけていきたいですね。

感染という極端な宿主応答の解明は,新たな免疫の扉を開けることになるかも知れません。

2008-02-05

どこかに通じている大道を僕は歩いているのじゃない

今週,異臭間は,いや,一週間は久々に研究のための時間ができた。ありがたい。月曜日のマンツーマンのミーティングも時間がなくてごめん。ということで本日は久々に,各自,散開して集めたデータのディスカッションを行った。

大まかな全体像が見えてきた実験もあり,そういったときに震える感覚があるから,研究は楽しいのだろう。しかし「全体像」の理解は,かなり頭を使わないと,シンプルにプレゼンすることができない。うちらで何処までたどり着けるか?勝負です。ということで修士の学生さん,どんどん先に行ってくれ。論文で読んだ知識よりも,自分たちの研究結果が,それよりももっともっと先に通じていることを信じて頑張って欲しい。

道の最端にいつでも君らは立っている。

ちなみに,俺はしんがりにいます。 

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タイトルは「道程」より引用です。高村光太郎 道程(原文)を是非,読んでみてください。

原文はすごい迫力があります。




総合格闘脳

最近,連敗続き。これではいかんなと,技の連携を脳内でリアルにイメージ。そうすると関節技とか,絞め技とか,足の運びとか,脳内でイメージされる場所が,微妙にずれていることが判明。しかも,イメージとしてそれらの繋がりがぼやっとしている。ということで,総合格闘の技を脳内でイメージしつつ,一つのフォルダーに入れて,脳のなかで技がでやすい,想起しやすい場所へマッピングの再編成を行いました。これまでスパーリング中は脳全体でこれらの技が無秩序にぼんやりと繰り出されていました。そうすると,すぐに脳はオーバーヒートを起こします。指定したフォルダーに全部の技が入っていれば,伝導速度も速くなります。また,脳の平面で格闘せずに「自分の格闘を一段上のところから,俯瞰的に視る」ということを心がけるようにしました。

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感想としては,本日のスパーリングはかなり冷静に戦えたと思います。私の場合,怪力系と対戦すると,こっちも力で対抗しようして結果的に居着いてしまうのですが,今日の動きは良かったです。まあ,まぐれということもありますので,よくよく吟味しなければなりませんが,技の場所が分散しておりませんので,脳のグルコース消費量は増えない,結果的に適正な判断が持続して,できたと思います。

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研究に関しては,自分のコンピューターのハードディスクがミラーリングしているような感じを脳に作っていますので,普段でもマッピングの強化はできていると思いますが,何でこれを格闘技に応用しなかったのか? この辺がまだまだ生きていく上での改善点です。また,脳機能学者の苫米地英人さんの本には,脳の活用方法について,もっともっと深いことが書いてありますので,自分の脳がどのような思考形態を取っているのか考えてみるのも面白いことだと思います。

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調子が悪い時は相手の体が大きく見え,調子の良い時は原寸大にきちんと見えます。研究においても不安な時,自信がない時は,小さな実験でも億劫に感じるときがあります。ということで常にリアリティーをもって研究対象を感じることは,重要だと思うのです。様々な実験を予め脳内で行うことで,自分が何処に行き着きたいのか,強化することになります。また,研究に関する思考が自分の脳のどこから湧いてくるのか,分散されていないか確認することは,不安の解消になるかもしれません。まあ私の場合,研究の方向性で,ものすごい不安に襲われ,不眠症になったり,動悸で目が覚めたりと,このままではだめになってしまうと思い,総合格闘のジムに入ったという部分もあります。「でも,それって極端すぎない?」と質問される場合がありますが,3時きっかりに起きてしまうというのも極端におかしなことだったと思います。入門当初,ジムから帰ると,疲労でそのまま固まったまま朝を迎えたこともありました。しかし,それから3時きっかりに目が覚めることはありませんでした。動こうとしても動けない,考えようとしても考えられない。それはそれで私にとって大きな安堵感であった時期があります。今の時代はやたら考え過ぎて前に出れない時代だと思います。ああ,もう寝ないと。。。

2008-02-03

Air

MacBook Air, いいなあ。だがこの1.36 kg という中途半端な重さはどうだろうか?

米国はメートル法ではないので彼ら彼女らのポンドに換算すると,1.36 kgは 3 ポンドジャスト。2 ポンド,908 g はアップルにとって技術的に現実的な路線ではなかったので,3ポンドがアップルの目標であったはずだ。もし米国がメートル法を採用していたら,1 kg を切るPowerBookがリリースされていたかもしれない。

目標は単純であるほうがいい。

ジョブスが会議室にあらわれ,電話帳を机に置いて「これがマッキントッシュの大きさだ」という逸話があるように,今回のPowerBookの目標は3ポンドジャストであったのだろう。

スティーブ ジョブス,善くも悪くも人々を惹き付ける。
人を惹き付ける彼のプレゼンは,我々,研究者にとっても参考になるかもしれない。